isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
最高ではないがそれでいい
今週のおひつじ座は、奇妙で絶望的で、それでいて人好きな星回り。
ポール・ボウルズの小説『シェルタリング・スカイ』は、ニューヨークに住む倦怠期の夫婦がアフリカ旅行を企てることから始まる物語。一応は夫婦関係の修復を目的に、夫の親友の男をひとり伴って旅するのですが、うまく行かず夫は途中でチフスに罹って死んでしまいます。
そこから親友は別行動になり、ひとり残された妻は運命に苛まれるような日々を送ったあと、作者に突き放されるように旅の最初の町であるアルジェに戻るところで終わるのです。何とも言えない切ない読後感の残る小説ですが、冒頭部分には次のように記されています。
「どこかしらある場所に彼はいた。どこでもない場所から、広大な地域を通って戻ってきたのである。意識の革新には、無限の悲しみへのたしかな自覚があった。しかしその悲しみは心強かった。というのは、ただそれだけが馴染みのあるものだったからだ」あなたもここに出てくるような「心強い悲しみ」を自身の音楽として生きていきたいところです。
今週のおうし座の運勢
ヒトとしての可能性を開く
今週のおうし座は、進化における大いなるギブ&テイクに目を見開いていくような星回り。
「冬晴やわれら系統樹の梢」を詠んだ倉田明彦は、長崎の開業医。目の前に立つ一本の枯れ木のなかに、われら人類(ヒト)を梢とする壮大な生命進化の歴史を見ているのでしょうか。多大なる時間をかけて多様化してきた生命の歴史は、すべての生き物が共有しているゲノムDNAの展開であり、分かち合い、そして関わり合いの物語と言えます。
掲句ではそれが単なる紙の上のアイデアとしてではなく、現実の光景のなかにホワーンと浮かび上がってきているのです。昨今のコロナ禍やAIの進化進出によって、人類(ヒト)はいまの種としてのたそがれ時を迎えているように思えますが、それでもとりあえずまだ晴れて明るいのだ、と。
今週のあなたもまた、さまざまな垣根や軋轢をこえて自分が周囲に助けられていること、逆にしてあげられることなどに目を向けていくといいでしょう。
今週のふたご座の運勢
呼びかけに応答する一人称として
今週のふたご座は、すべての他者よりも過剰に有責な自我の「責任」について考えていくような星回り。
「存在する」という言葉は、あたかもそれ単独で文の主成分になることができるかのように普段語られていますが、実際に存在の歩みを進んだり、存在の役割を果たすことはそう単純でも簡単でもありません。というのも、私たちは自分ひとり単独で存在している訳ではなく、生物的にも社会的にも必ず他者との関わりを通して存在しているからです。
例えばユダヤ人哲学者レヴィナスは『倫理と無限』の中で、近さとか空間的・心理的なものだけでなく「その他人に対して私が責任をとるかぎり―私に責任があるかぎり―他人は本質的に私に近い」のであり、「私には、あらゆる他者を、他者におけるすべてを、さらには他者の責任をも引き受ける全面的な責任に対する責任がある」とさえ述べています。
これは宮沢賢治が『春と修羅』において、「あらゆる透明な幽霊の複合体」とか「すべてがわたくしの中のみんなである」と言っていたのを別の言い方で表わしたものと言えるかもしれません。あなたもまた、こうした自我にとってのある種ユートピア的な考え方を通して、みずからの存在の条件について検討みるといいでしょう。
今週のかに座の運勢
グルーヴ感のあるわがまま
今週のかに座は、誰かをせっつくようにして胸の内の思いを昂ぶらせていくような星回り。
初冬の春を思わせるようなあたたかい気候を「小春」といい、そのやさしいぬくもりが特別感じられるとそれを「小春日和」と言いますが、それはまだ今一つ冬が来たという実感がわかず、なんとなく過ぎていく11月にふさわしい季語という気がします。
「彼の世も小春日和か郵便局あるか」(池田澄子)という句は、うららかなある日、“あちらの世界もこんな陽気なのかしら”という思いつきが、“だったら手紙のひとつでもくれればいいのに”という故人への追慕へと飛躍しているさまがなんともユーモラス。
ここでの故人とは、おそらく作者の俳句の師である三橋敏雄でしょう。命日は12月1日。やがてくる冷たく厳しい本格的な冬の到来を予感しつつ、陽だまりのような日々に愛おしさを募らせているのです。今週のあなたもまた、現実と実感のズレをグルーヴ感として享受して、思いがけない飛躍へと高めていきやすいでしょう。
今週のしし座の運勢
底抜け底抜け
今週のしし座は、癒し/癒されることの本質に立ち返っていくような星回り。
聖書の有名な隣人愛の教えは、当時のユダヤ教社会に横行していた人種差別が前提にありました。例えば、『ルカ福音書』の「よきサマリア人のたとえ話」の一節には、ある律法家がイエスを試すために、どうしたら永遠の命を受け継ぐことができるか尋ねています。
イエスは律法に書いてあるよう、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』を実行すれば命が得られると答えましたが、彼は自分を正当化しようとして「では、わたしの隣人とはだれですか」と質問。この問いかけは、イエスが実際に被差別民と付き合っていた事実を暴き出すためのものでしたが、イエスはこの後、追いはぎにあった人を見かけた3人の例を出して「誰が隣人になったと思うか」と問い返しました。
それは、隣人とは「~である」という仕方で固定的に定められるものではなく、各人が「なる」という仕方で実現するべき実践であることを明らかにしているように思います。今週のあなたもまた、みずから接近せずにはいられない関係において癒し/癒されていくことがテーマになっていくでしょう。
今週のおとめ座の運勢
優しくなろうよ
今週のおとめ座は、みずからの柔らかなこころの動きを感じ取っていくような星回り。
それはまるで、「雪を待つ。駅でだれかを待つように。胸にくちばしうずめて鳥は」(岸原さや)という歌のよう。誰かを待っているときの心の動きは、その相手が大切な人であればあるほど、しぜんと優しくなる。それは魂、あるいはいのちの原型というものが、身の一部をたがいにすり合わせるということ、つまり、身体がみずからに触れるということにあるからでしょう。
たとえば、二つの唇がくっつくところ、当てられた指、合わされたてのひら、重ねられた腿など。そうした触れあいがなければ、真の内的感覚もいきいきとした身体図式も感じなくなり、やがて生きているのか死んでいるのかも分からないような失神状態のなかで生きざるを得なくなるはず。
その意味で、くちばしを胸にうずめて雪を待つ鳥は、マフラーに首筋をうずめて誰かを待つ人と同じであり、いのちそのものを取り扱おうとしているのだと言えます。今週のあなたもまた、改めてそうした手つきで自分や他者を扱うことができるかどうかが問われていくでしょう。
今週のてんびん座の運勢
創造的習慣としての黙想
今週のてんびん座は、必要不可欠な怠惰をきちんと確保していくような星回り。
「自分はなぜここにあるのか」と考えること自体が、自分が存在する証明であるとして近代の幕開けを飾ったフランスの哲学者ルネ・デカルトは、朝が遅かったことでも知られています。評伝によれば、目が覚めてからもベットの中で考えごとをしたり、書きものをしたりして、11時かそこらまで寝床でぐずぐずしてそうで、しかも毎晩10時間はたっぷりと睡眠を取っていたいたのだとか。
デカルトは手紙に「私の心は眠りのなかで森や庭園や魔法の城をさまよい、想像しうるかぎりのあらゆる快楽を経験する。そして目が覚めると、その夜の夢と白昼夢を混ぜ合わせるのだ」とも書いていたそうですが、優れた頭脳労働をするには怠惰な時間が不可欠だと信じていた彼にとって、午前中のベッドのなかでの黙想は、1日のなかで集中して行われる唯一の知的活動でした。
今週のあなたもまた、インスピレーションを日常へと引き入れるための習慣づけを改めて意識していきたいところです。
今週のさそり座の運勢
運命の三叉路
今週のさそり座は、刹那的な幸福を追求していこうとするような星回り。
背の低い直方体の紙に包まれたままの「バター」も、冷蔵庫から出して温かい室内に置きっぱなしてすればいつかは融けてしまう。「冬ぬくしバターは紙に包まれて」(中村安伸)には、不安と心地よさがないまぜになったような独特のニュアンスがあり、明らかにいつもは寒いはずの冬の最中に暖かい一日の、ほっとした、幸せな気分との取り合わせが意識されている一句です。
幸福というものも、形に囲い込もうとしたり、いつまでも同じ形に執着してしまえば、途端に味気なくつまらないものになってしまう訳で、その意味で料理も人生も、溶けかけや崩れかけが一番おいしく感じるものなのかもしれない。
そうすると、紙に包まれてあるバターにただよう不安にもどこか親近感さえ湧いてくる一方で、温暖化の一途をたどり、過剰にあたためられつつある地球の現状に改めて不気さを感じてしまう。あなたもまた、情感が溢れでてくる一瞬のうちにこそ、こころの真実を見出していくことができるはず。
今週のいて座の運勢
問いこそ力の源
今週のいて座は、割りきれない問いを持ち続けることの大切さを改めて思い出していくような星回り。
精神科医ロバート・コールズの『子どもの神秘体験 生と死、神・宇宙をめぐる証言』という本に、とあるイスラム教の子どものエピソードがありました。その子はいじめられっ子でしたが、何とか自分を強くしてほしいと頼んだら、アッラーが力を与えてくれたのか、ぐっと相手を睨みつけることが出来たのだと語ったと言います。
けれど話はそこで終わらずに、いじめられっ子が自分を強くしてくださいと神に祈ったらどうなのかという疑問が生まれ、これに答えてほしいとその子はアッラーに祈った。すると、神の声が聞こえてきて、「一生悩み続けていいのだ。悩みをしまいこんで忘れないよう祈りなさい」と語ったそう。神ならばもっと明快な答えを与えてくれると期待していた彼は、困惑してしまいます。
けれど、その後もしばらく考え続けるうちに、「悩み続けることに意味がある」ことを悟ったんだとか。ここには子どもたちが大人の体験するそれを超えた光を感じることがある一方で、大人の計り知れぬ闇をもまた経験しているのだという事実が垣間見れます。あなたも子どもに負けぬように、もう少し悩み続けてみてもいいのではないでしょうか。
今週のやぎ座の運勢
虚実を織り交ぜる
今週のやぎ座は、実際には交わされなかった会話や言葉にこそ重心を寄せていくような星回り。
「落葉道二度聞きとれずもう聞かず」(藤井あかり)は、落ち葉を踏みながら歩いている時のやり取りが詠まれている句。歩きながらぼそっと相手が何か言ったので一度聞き返し、もう一度聞き返したが、聞き取れなかった。まあいいか、とそっとほほえんで済ます。鳥が鳴く。もうこんなに時間が経っていたのかと気付き、歩いてきた道のりを思う。そんなある日の情景が詠まれています。
言葉は明確で分かりやすければいいという訳ではなく、会話もまたその内容よりも間の方が大切だったりする。会話の相手が気心の知れた仲であるほど、その度合いは高くなっていくように思うのです。
今週のあなたもまた、ある種のテレパシーが起きたり、そうした感度が高まっていきやすいかもしれません。
今週のみずがめ座の運勢
わがミッションの味
今週のみずがめ座は、恥ずかしくも真剣な衝動をひとつの形にしていこうとするような星回り。
「はしごがかかったままの木の上の家」という文言は、ロン・セクスミスとドナルド・カーの「レモネード・スタンド」という曲の歌詞に出てくる一節に出てくるもの。これはアメリカやカナダでは昔から家の庭先にスタンドを出して、家の子どもたちが自分たちで作ったレモネードをご近所さんに売るのが、夏の風物詩だったことを牧歌的に歌い上げています。
ここでの肝は無料で振る舞うところではなく「売る」ところ。セクスミスが「人生って素敵じゃないか/それはおっきなレモネード・スタンド」と歌うとき、そこには大人が生きていくために行う労働や起業もまた、無邪気にレモネードを売っていた頃の営みと地続きであり、単なる「お金儲け」では割り切れない、なにかエモーショナルなものが宿っているはずだという考えが込められているのではないでしょうか。
そしてよくよく考えてみれば、バンドというものも表現であると同時に事業であり、会社もまた事業であるだけでなく表現でもあるはず。今週のあなたもまた、みずからのミッションと繰り返し立ち返るべき場所や原風景を接続していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のうお座の運勢
一頭の馬駆けゆきて
今週のうお座は、一頭の雄渾な馬となって疾走していこうとするような星回り。
騎馬像の馬には、とぼとぼと下を向いて歩く姿は似合いません。「青銅の馬身の如く冬来る」(仙田洋子)という句には、今にも駆けだしそうに前足をあげ、手綱を引かれつつも、みなぎる筋肉や蒸気する汗のなか、冬の冷たい風をたてがみで受けている姿がイメージされてくるはずです。
シンボリズムの世界では、馬は生命と死、太陽と月といった対立する二者をどちらも象徴する存在として、魔術的な先見力や知性、高貴さをあらわす象徴と考えられてきましたが、特にシャーマニズムの伝統においては、馬は魂の導き手(プシコポンポス)であり、この世とあの世、あの世とこの世の移行を象徴していました。
そして冷たい青銅に凝固した姿で、冬の到来を敢然と引き受ける掲句の馬の姿は、まさに今のうお座そのものと言えるでしょう。あなたはこれまでに夢見ていた確からしい夢を現実の中に見つけていくべく、スタートを切ろうとしているのだと言えます。
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