しし座
こちらを見ている誰かがいる
「バカだな」
今週のしし座は、『バカだなと目が言うホットウイスキー』(火箱ひろ)という句のごとし。あるいは、自分以上に特別な存在がほんのり立ち上がっていくような星回り。
日本語の「バカ」には文字通り相手をからかったり罵倒したりする際の意味合いの時と、「この可愛いやつめ」という思いが込められている時とがありますが、掲句の場合はそのどちらなのか。というより、どんな場面なのでしょうか。
場所はほの暗い酒場のカウンターでの1杯か、森のキャンプ場での寝酒か。「ホットウイスキー」はウイスキーのお湯割りのことで、体の芯から温まるだけでなく、水で割るよりもウイスキーの香りが立ちやすくリラックス効果もある飲み物。つまり、日常からほんの少し外へ出たところで、日常に疲れた自身の心身を慰めようとしているのでしょう。
「目が言う」とありますから、「バカだな」直接声に出して、あるいはうっかり心の声が外に漏れているのではなくて、あくまで目で密かに合図を送るようにして心から心へと届けられているのでしょう。作者自身は女性ですが、「バカだな」という言いぶりから、慰めているのは男性だと思われます。
だとすると、この句の場面は、遠く離れたところにいるか、少なくとも物理的に目の前にはいない大切な誰かのことを思い浮かべての想像上の対話であり、そこに集中して豊かな孤独に浸っている人間の姿なのかも知れません。
11月20日にしし座から数えて「あなた」を意味する7番目のみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、自分以上に特別な存在である誰か何かへ全集中していきたいところです。
宮沢賢治の解離
宮沢賢治は有名な「小岩井農場」でも「うしろからはもうたれも来ないのか」とか「うしろから五月のいまごろ/黒いながいオーヴァを着た医者らしいものがやつてくる」など、「うしろに誰かがいる/くる」感覚について頻繁に書いていますが、精神病理学者の柴山雅俊はこうした賢治特有の表現には「解離性の離人症」が関係していると述べています(『解離性障害: 「うしろに誰かいる」の精神病理』)。
彼の初期の短歌「うしろより/にらむものあり/うしろより/われらをにらむ/青きものあり」でも、背後に動く凝視者の存在が想定されており、それがやはり初期短編の「沼森」になると「なぜさうこっちをにらむのだ、うしろから。何も悪いことをしないぢゃないか。まだにらむのか、勝手にしろ」となり、さらに『復活の前』という作品では次のようになります。
黒いものが私のうしろにつと立ったり又すうと行ったりします。頭や腹がネグネグとふくれてあるく青い蛇がゐます、蛇には黒い足ができました、黒い足は夢のやうにうごきます、これは竜です、とうとう飛びました、私の額はかぢられたやうです。
解離とは、広くは「連続している心の機能に不連続が生じる現象」のことを言い、記憶・感情・意識などの心の動きのどこかに断裂が起きたり、人格的な破れ目ができたりすることをいうのだそうですが、賢治はそれを「うしろの誰か」というイメージを通して作品にし、その変化を追うことで彼自身の詩的世界も深化を遂げていったのかも知れません。
今週のしし座もまた、そうした作品化や作品世界の深化の鍵となるような「誰か/何か」を思い定めてみるといいでしょう。
しし座の今週のキーワード
「連続している心の機能に不連続が生じる現象」