さそり座
孤独と円熟
痛みと愛
今週のさそり座は、『夜の部屋ポインセチアが赫すぎる』(千坂美津恵)という句のごとし。あるいは、心の底からの望みや理想を改めて浮き彫りにしていくような星回り。
12月と言えば年末に向かって一気に街が華やぐ季節であり、その最大のイベントと言えばクリスマス、そしてクリスマスと言えばポンセチアの赤とヤドリギの緑というのが、ここ数十年のお決まりの符牒となっています。
しかし、一方でそうして世間のキラキラ度が増せば増すほど、そこに乗れない人間の心には深い影が差していく。掲句もそんな人間の心情をじつに的確に表してみせた一句。
昼間には室内を明るく彩ってくれていたポインセチアも、喧騒をシャットアウトするかのような深い闇と沈黙のおりた「夜の部屋」にあっては、どうしたってその表情も変わって見えてくるもの。
「赫すぎる」の「赫」は、火が2つ並んでひと際燃えさかって見える様子を表した字であり、どこかきらびやかなイルミネーションを連想させますが、掲句であえて表明された過剰さは、そうした街のノリとは対照的に孤独を滲ませた作中主体にとってポインセチアの存在が「痛み」をもたらすものであることを表現しているのではないでしょうか。
とはいえ、そうして痛みを受けとめ、苦しさに喘ぎながら己と向き合った経験を積み重ねた分だけ、人は自分以外の誰かにもより深く寄り添えるようになっていくものであり、それこそさそり座の人たちが他の何よりも望んでいることであるはず。
12月1日にさそり座から数えて「生きがい」を意味する2番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、雑な暇つぶしでかき消したりするのでなく、微妙な心情の変化をじいっと見つめていくべし。
「酸い」な自己肯定
さまざまな経験を積んで成熟した人間のことを、「酸いも甘いも嚙み分けた」と表現することがありますが、実はこれは古い言い回しで、「酸い」というものを現代の基準でレモンのような酸味と考えてしまうと、途端に話がよく分からなくなってしまいます。
日本の伝統的な酸味というのは、そもそも甘味も含んでいるのであって、例えば醸造酢のような「まろみ」に近く、だからこそ「嚙み分ける」必要があるし、それには両者の微妙な違いを区別するための‟基準”を知っていなければなりません。
九鬼周造は『「いき」の構造』において、甘味に対して渋味を対置させた上で、その中間にあるものが、派手と地味の中間にあるものと対応しているのだと論じました。つまり、甘味というのは「俗」であり、人目を気にし過ぎており、その対極である渋味の「脱俗」すなわち一切の比較対象がそぎ落とされた隠遁者的な精神的円熟の境地を‟基準”とすることで、「いき」な甘さ=「酸い」を感じ取っていくことができるのだと考えた訳です。
それと同様、円熟味のある自己否定を基準にしつつ、ありのままの自分への甘い自己受容とは異なる、「いき」な自己肯定をいかに繰り出していけるかが、今週のさそり座にとっても大事なトピックとなっていくでしょう。
さそり座の今週のキーワード
甘味と渋味の中間に立っていくこと