てんびん座
現代からいっとき隠れる
開闢か終末か
今週のてんびん座は、『太古より宇宙は霽れて飾松』(正木ゆう子)という句のごとし。あるいは、良くも悪くも自身の行いを宇宙大のスケール感で執り行っていくような星回り。
「霽れて」は「はれて」と読む。雨や雲などさえぎるものの一切がやんで、さわやかにはれわたり、心がさっぱりすることをいう。
門戸に一対の松を立て、年神を迎える目印とする「飾松(かざりまつ)」をほどこし終えて、作者はいつも見慣れているはずの光景が改めて新鮮に感じられてきたのでしょう。
そこから、ふっと太古の宇宙を飛ばしてしまうところがユニークですが、これをユニークと感じてしまうのも、すっかり生きた宇宙から断絶し孤立することに慣れてしまった現代人だからなのでは、とつい考えてしまいます。
そうした現代的な感覚にまみれる以前の日本人ならば、門松を配した新年の玄関口と、何もさえぎるもののなかった宇宙の開闢とを一直線につなげていくことに何の躊躇も不自然さも覚えず、ごく当り前のこととしてみなが無言のうちにこなしていたのかも知れません。
だとすれば、もし門松も飾らずしめ縄もかけずに、新たな年の訪れに感謝したり平安と豊作とを祈ることさえも怠れば、それはたちまちこの宇宙の終焉へと一足飛びに結びつきもしていったのではないでしょうか。
12月31日にてんびん座から数えて「スケール感」を意味する4番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何かと宇宙の太古や終末ということが口をついて出やすくなっていきそうです。
大人のかくれんぼ
そういえば、ひと昔前の街や路地というのは、ひとつひとつの家がそれぞれに異なっていたり、家と家のあいだによくわからない空間や隙間が存在したり、横丁も非常に入り組んでいて、鬼ごっこやかくれんぼが自然にできたものでしたが、家屋構造も何とかハウスとかいって既製のものばかり立ち並ぶようになり、都市計画で整備された結果、家にも街にもある種のラビリンス(迷路)がなくなってしまったなと思うことがあります。
じゃあその代わりに何が起きているかというと、大人になってからUFOを見たり、推しができたり、下手をすると陰謀論にドはまりしたりして、<未知との遭遇>をする訳です。ただ、そうした一連の「UFO(未確認飛行物体)」というのは1種のデジャヴュ(既視感)体験であって、既知のものとつながることで未知が帰ってくるようになっている。
それは思春期のやり直しでもあって、若いころに世の中からの隠れ場所を見つけることを周囲や時代に許されなかった人ほど、後半生にいたって改めて合意的現実(母船)からインキュベーション(潜伏)しようと、好き好んで“うさんくさい領域”に入っていく。
そういう意味では、まだ宇宙とのつながりを感じることのできた昔の人はそういうことをちゃんと分かっていたからこそ、家を建てるときに、わざわざ便所や納戸を生活の中心から距離をあけて設置していたのでしょう。
それと同様に、今週のてんびん座もまた、そうした未知を呼び込むための儀式としての、大人のかくれんぼに興じてみるといいかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
あえて迷宮に入りこむ