
みずがめ座
逆転の発想

花道の歩き方
今週のみずがめ座は、「花影婆沙と踏むべくありぬ岨(そわ)の月」(原石鼎)という句のごとし。あるいは、舞台袖で出演に控える役者さながらに与えられた役柄にはまり込んでいこうとするような星回り。
切り立った山の険しくごつごつとした岨道を歩いていると、お月さまがのぼっており、目の前に突き出ている桜の枝が道に影を落としているのだという句。
「婆沙」とは、もとは舞う人の衣の袖がひるがえる様子を意味する言葉ですが、ここでは桜の花の影が揺れ動く様子をそう表現してみせたのでしょう。もとより狭い道なので、このまま歩いていけば、おのずとその花影を踏んでいかねばならないが、「踏むべくありぬ」という文言からは、おもしろそうじゃないかと、作者がひどく興奮している様子が伝わってきます。
なぜここまで興奮しているのでしょうか。おそらく、ほどんと人気のない山道をひとり黙々と歩いていてなんだか心細く、みじめな気持ちになってきつつあったところを、月と桜の演出によって自分の歩いている岨道が歌舞伎の舞台などに設けられた細長い「花道」のように感じられ、言わば作者はここで歌舞伎役者になりきろうとしているのだという風にも想像できます。
歌舞伎の花道での歩き方は「六方(ろっぽう)」とも呼ばれ、手足を大きく振って誇張した動作で歩いたり走ったりしますが、そうした颯爽とした力強さと荒々しさを何より自分自身に呼び込もうとしていたのかも知れません。
同様に、4月5日にみずがめ座から数えて「儀式」を意味する6番目のかに座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの花道の歩き方ということを模索してみるといいでしょう。
利休の茶室
20世紀のモダニズム建築を代表する建築家であるミース・ファンデル・ローエが提唱した「less is more(少ないことこそより豊か)」という考え方は、茶道の四畳半にも通底しています。4畳半のもととなったのは、13世紀の鴨長明の『方丈記』で、これはできるだけものを持たず、ひっそりと暮らすことに美学を見いだした最初の書物でした。
ミースの考えはときに「less is bore(少ないことは退屈)」などと揶揄されもしましたが、何もない小さな空間こそ、何にも代えがたいほど豊かであるという感覚は、その前後に大きな空間や、ものがたくさんあるという経験との比較に基づく相対的な感覚なのかもしれません。
千利休は「less is more」をさらに一歩推し進め、4畳半ならぬ2畳の茶室をつくってしまいました。そこは狭いばかりでなく、真っ黒に塗りつぶされ、完全に壁に囲まれた密室であり、まさにブラックホールのような空間です。これは空間に極限の狭さを与えることで、内面的には無限をつくり出す、究極の相対感覚効果と言えるでしょう。
今週のみずがめ座もまた、少なさや狭さを通して豊かさを感じ直していくべく、利休の大胆不敵さを大いに取り入れていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
装飾は最小限に





