ふたご座
たま、たまたま
残骸からの飛躍
今週のふたご座は、『ガラス玉これ雪女の義眼です』(橋本薫)という句のごとし。あるいは、今まで考えもしなかったような未来像が、不意に口をついて出てくるような星回り。
おそらく、作者は雪道に落ちていた「ガラス玉」を見つけて、とっさに雪女を連想したのでしょう。
雪女の伝承は昔から伝えられており、地方によっては赤子を抱いた若い女だったり、老婆だったりとその年齢や姿からしてさまざまなバリエーションがあるものの、そうした伝承のいずれもがほとんど哀れな話である点では一致しています。
雪女と遭遇するのはたいていは子のない老夫婦であったり、山里で独り者の男であったりと、そういう人生で侘しい者たちであり、彼らの中で吹雪の戸を叩く音から自分が待ち望む者が来たのではという幻想と、寂しさや孤独とないまぜになった恐怖とが背中合わせになったところから雪女の伝承は始まったのだと思われます。
その意味で、作者が妄想したガラス玉の義眼をはめているという、どこか洗練された美しさをそなえた雪女像は、堆積した記憶と夢の残骸の中から、まだ出会ったことのない未来の破片をサルベージして、それに一条の光を当てるような試みの所産なのだという風にも言えるのではないでしょうか。
1月29日にふたご座から数えて「直感」を意味する9番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたのもとにも、そうした過去と未来とが交錯していくような直感的イメージが訪れてきやすいでしょう。
離接的偶然に導かれ
俳句であれ小説であれフィクション(虚構)は現実との関係性の中で、つねに早とちりや解釈の取り違えなど、いわゆる「誤配」の可能性を孕んでいますが、人生に必ずしもたった1つの正解などありえないように、読み手にとっての正解はあくまで読み手自身の手によって創り出されなければなりません。
哲学者の九鬼周造は、単なる偶然とは区別して「離接的偶然」という言葉を作りましたが、これはもともと日本語にあった「たまたま」や「ふと」、「はずみ」、「なつかしさ」などをそれらしく言い換えたもので、ここにはある種の日本人特有の運命感覚のようなものが立ち現れているように思います。
無根拠で、必然的でもない自分が、現にいまこうして生きていることもまた、ものの「はずみ」であり、「たまたま」そうであっただけだけれど、そういう偶然を愛そう。そして、これからも「ふと」思い立ったことや、理由もなく「なつかしく」感じたことがあれば、それに身を任そう。それが例え「まちがい」だとしても。
今週のふたご座も、どこかでそんな運命愛のようなものが湧いて、これまでしっくり来ていなかったものが腑に落ちてくるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
文脈のこじれと偶然と運命愛