おうし座
一歩の現実の追求
幻想を打ち破るために
今週のおうし座は、アランの『絶望しないこと』という断章のごとし。あるいは、想像力を創り出すのは行動に他ならないのだということを自分に言い聞かせていくような星回り。
酔っぱらいはなぜ酔っぱらうのか。それは現に飲みつけているものを飲むことによってますます喉が渇き、理性を失ってしまうから。ただ、その最初のきっかけはほんの些細なきっかけに過ぎなかったり、とるにたらない原因であり、しかし“そうであった”ことを、たいてい人は飲んでいるうちにいつの間にか忘れてしまうのです。
飲酒を喫煙やギャンブル、ネットショッピングなどしばしば依存症の原因となるものに置き換えてみてもいいでしょう。こうした身近な事実に目を凝らし、アランは「われわれは情念にとらわれていると思い込んでいる」のだと喝破した上で、次のように述べています。
不幸なことに、絶望には確信がつきまとう。いや、確信どころか、やわらかな思考を拒絶する絶対的断定が。この幻想は―なぜなら、これこそ一つのイリュージョンだと思うから―ごく自然なものである。人は自分のもっていないものについては判断を誤るのだ。ぼくが酒を飲んでいる限り、禁酒のイデーをもつことができない。ぼくが現に飲んでいるという行為が、しらふのぼくを考えることはできない。
確かに「頑固な情念」だとか「そういう星のもとに生まれた」などと言って、私たちはしばしば自分の可能性をみずから断ち切り、ほんのささいな行為行動によって始まった悪習や悪徳に服従しつづけようとします。
その点、1月29日におうし座から数えて「処方箋」を意味する10番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたは、自分の限界や不可能性に対するいい加減におしはかった考えに挑んで、ほんのささいなことであっても勇気ある行動に出ていくことがテーマになっていきそうです。
単なる“幻”以上のもの
例えば、さまざまな学を横断して存在論、生命論、人間論などを1つの大いなる連鎖に繋げていったヘーゲルを唯物論的に変形させたマルクスは、資本主義という経済システムの矛盾を明らかにせんとして書いた『資本論』のなかで、四度にわたって「ファンタスマゴリア」という言葉を使っていました。
これは日本語訳ではたいてい「幻」と訳されていますが、いわば巨大な幻灯機のことであり、映画の前駆形態のイメージ。マルクスが生きた19世紀当時、パリやロンドンではファンタスマゴリアの興行が行われており、特にロンドンでは大変な人気だったのだとか。
見世物としてのファンタスマゴリアというのは、言ってしまえばガラスと光学機械と照明の詐術なのですが、「ありもしないものを舞台上に見せる」という意味では現代のVRやARの原型とも言えます。
それをマルクスが何回も、「労働者にとって彼が作った商品は、その瞬間から目の前のファンタスマゴリアでしかない」という言い方でその虚妄を突いた訳ですが、それは単なる“幻”以上に厄介な代物であることがここから分かるのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、まずはある特定の“幻”に自分が魅入られてしまう必然性について認識を深めていくべし。
おうし座の今週のキーワード
仮想的現実から実質的現実へ