いて座
「誠」から「敬」へ
政治的なふるまい
今週のいて座は、インディアンの首長のごとし。あるいは、それにふさわしい条件をみずからクリアしていこうとするような星回り。
実際に南北アメリカのインディアン社会を参与観察したアメリカの文化人類学者ロバート・ローウィが1948年に発表した論文によれば、部族社会において首長が備えているべき条件は以下の3つなのだそうです。
①首長は「平和をもたらす者」である。首長は、集団の緊張を和らげる者であり、そのことは平和時の権力と戦時の権力が、たいがいの場合は分離されていることに示されている。
②首長は、自分の財物について物惜しみしてはならない。「被統治者」によるたえまない要求を斥けることは首長にはできない。ケチであることは、自分を否定するに等しい。
③弁舌にさわやかなものだけが、首長の地位を得ることができる。
超自然的な力や霊との交わりによって神の化身と成り得た(少なくともそう信じられた)古代的な王の場合、その権力は絶対的なもので、みずから軍隊を動かし戦争をすることができますが、ここでいう首長が戦争の指導者と同一であることはほとんどありません。
首長とは、あくまで平時の権力であり、あくまでみなと一緒に暮らしながら、みなが抱える問題を解決していこうとする存在なのです。彼らはシャーマンのように自然の原理に支えられることはない代わりに、文明の原理をみずからの拠り所とし、規則や良識にしたがって、集団的な混乱と緊張をいかに解決と平和へと近づけられるかを追求せねばならず、それこそが「政治」ということの根源なのだと言えるのではないでしょうか。
その意味で、27日にいて座から数えて「役割」を意味する10番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、誰か何かと戦うためにではなく、不和や争いを解消するためにこそ力をふるっていくべし。
朱子の「敬」の思想
首長に求められる徳目ということで思い出されるものに、12世紀南宋に生まれ「新儒教」の朱子学の創始者となった朱子には「敬」の思想というものがあります。それは普通の意味での「尊敬」のことではなく、ある種の心の覚醒状態のことを指し、主観的な誠意とは全く異なるものでした。
日本人がもっとも好む徳目の筆頭はこの「誠」の方であり、誠実に生きることや、人に誠意をもって接することに、最も高い価値が置かれています。ただ恐ろしいことに、人は誠を貫くために嘘をつくこともあれば、人を殺すことだってできる存在であり、誠意の御旗の下で、しばしば前提や方向性を顧みずに行われた行為が許されてきたという側面も無視できないでしょう。
朱子学における「敬」とは、まさにそうして心が主観的で恣意的になってしまうのを防ぎ、自己を客観化する働きのことを言っていて、その根底にあるのは、この世を支配している何らかの理(ことわり)への畏敬の感情でした。出来事であれ人物であれ、あくまで客観的な対象として研究し、背後の理を知るに至る方法論が「敬」だった訳です。
そして今週のいて座もまた、これになら翻弄されてもいいと自分が思えるような宇宙や人生を貫き遍満する理(ことわり)に意識の焦点を合わせ、行動するつもりで過ごしていくべし。
いて座の今週のキーワード
心が主観的で恣意的になってしまうのを防ぐこと