みずがめ座
自己内対話の促進
地が光る
今週のみずがめ座は、『虚子一人銀河と共に西へ行く』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、「あっ!」と心の声が漏れ出る瞬間を迎えていくような星回り。
中七が肝となる一句。「西へ行く」というのは、象徴的にはあの世へ渡る、つまり死んでいくということなのでしょう。いくらこの世でさまざまな縁を結び、どれだけの人に囲まれ、関係していようが、最後はあくまで「虚子(自分)一人」でいかねばならぬ。
そう聞かされてきたし、実際に自分もさっきまでそうなるのだろうぼんやり思っていた。ところが、1人という認識が極まれば極まるほど、それは同時に「銀河と共に」ということなのだと、作者はここで発見したのではないでしょうか。
すなわち、あるようでない、ないようであるといった、絶妙な距離感と関わり方で自分を見守ってきてくれた、さながら草葉の陰の先祖のごとき「銀河」という、もはやそれ以上さかのぼることのできない背景であり、自分という存在を裏支えしてくれている大元であるところのものについて、ふと思い当たった――。
そしてそうした発見の瞬間、思わず心の奥で「あっ!」というかすかな声が漏れたのではないか。それは大きな驚きであり、深い確信であり、冬の冷気をしみじみ感じたときのような思考の冴えではなかったか。
11月20日に自分自身の星座であるみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、大いなる移ろいのなかで自分なりの境地の深まりに突き当たっていくことができるかも知れません。
「同行二人」
四国の霊場巡りの際に袈裟に書きつける言葉に「同行二人」というものがあります。これは、たとえ1人ぼっちの巡礼であったとしても、弘法大師が一緒に回ってくれるからという意味なのだとか。
法華経にも「唯仏与仏」という言葉がありますが、これもやはりいかなる時でも自分ひとりではなくて、仏が仏に会っているのだと言うのです。
一説によれば人は1日に6~7万語もの言葉を脳内で浮かべているとも言われていますが、これも「同行二人」という立場に立てば、さながらひとつひとつの言葉が大河の一滴として、対話の機会がそこに流れ続けてきているのだとも言えます。
ただ、近代以降の世界では「私」というものを語るとき、どうしてもひとつの鉄の玉のように強固なアイデンティティを理想として考えてしまうところがあり、「同行二人」などと言われても、現代では自我が分裂して自分以外の声が頭の中で鳴り響いている、自分はおかしくなってしまったのではないか、という風に捉えられてしまうかも知れません。
ただ今週のみずがめ座においては、どうしたってぼやきや愚痴になりがちな脳内の独り言を、もう1人の自分としての「銀河」や「仏」に応えつつ、少しでも対話にしていきたいところです。
みずがめ座の今週のキーワード
自分自身にきちんと向き合えていない時のシグナルとしての、他者への不満や怒り