
みずがめ座
情念体操

世にある多くはありきたりのそらごとばかり
今週のみずがめ座は、『蜻蛉日記』の冒頭のごとし。あるいは、耳ざわりのいい夢物語なんかじゃなくて本当のことを記すわよと宣言していこうとするような星回り。
源氏物語が書かれた平安時代には、女性の書き手による日記が文学として花開いたことは有名ですが、ここではその中の1つである『蜻蛉(かげろう)日記』を取り上げたい。
「藤原道綱母」という女性が、あの藤原道長の父で、今でいう上級国民のそのまたトップ層である藤原兼家のもとへ嫁いだ日々を綴ったものだが、誰もがうらやむ玉の輿に乗った生活は、一体どんなに素敵なものなのかと思って読んだら大間違いである。
平安の宮廷社会では一夫多妻制の通い婚が普通で、日記の書き手はその何番目かの妻であった。兼家ははじめこそ甘い言葉を吐いていたが、すぐに他の女に気を移し、次々と通いどころを広げていくかと思えば、たまにご機嫌取りにやってくるなど、「藤原道綱母」は見事に婚姻制度に振り回され、あれしてくれないこれしてくれないと、約20年にもわたって夫への不満や恨み、憎しみを育てていったのだ。そんな日記の冒頭には次のようにある。
ありし日々をこんなにもむなしく過ごして、いかにも頼りなく、どうにもこうにもならずに、いたずらに生きている女がいた。容姿とて人並みでなく、思慮分別があるわけでもないので、こうしてものの役に立たずにいるのも道理だと思いつつ、ただ寝て起きて暮らすひまに、世の中に多くある古物語をちょっと読んでみれば、ありきたりのそらごとばかり。人並みではない私の身の上を書いて日記にしてみたら、かえってめずらしい読み物になるかもしれない。天下一の貴公子の貴公子との婚姻はどんなものだと問うなら、その一例としてほしい、と思うのだが、過ぎ去った年月の記憶がおぼろげになっているので、なんとかかっこうがつく程度であやふやなことが多い。(現代語訳・木村朗子)
3月29日にみずがめ座から数えて「発信」を意味する3番目のおひつじ座で新月(日食)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の中にうずまく負のエネルギーを活動の原動力へと変換してみるべし。
「楽しませるべし」という発信作法
もともと「正しい/間違っている」、「攻撃してもよい/悪い」といった単純な二分法に陥りやすいX(旧:Twitter)が、ますます人々の二極分化を促しているように感じる昨今ですが、フランスの哲学者アランは幸福に関する断章集のなかで、「ほんとうの生き方」の中に「楽しませるべし」という規則を入れたいという旨について書いていました。
それはおべっかを言ったり、調子よく相手に合わせるということではなくて、(とりわけ若者に対しては)推測に過ぎないときは最も良い方にとり、立派な姿に描き出すことで、彼らは自然と自分をそのように思い込み、やがてそのような人間になるだろうといった未来への企図に基づく祈りにも似た行為なのだと。
もちろんどんな人にだって誤りやねじれは存在するものですが、厄介なのはそれを感情的にこじらせることであり、ここでいう相手を「楽しませる」とは、「つまり荒ぶる情念をなだめる体操」なのであり、アランの言う通り「ほんとうの礼儀作法とは、むしろよろこびが伝わって行って、すべての摩擦がやわらぐところにある」のかも知れません。
少なくとも、『蜻蛉日記』の作者は夫である兼家をサゲてるように見せかけて、実はホメ上げているのだとも言われており、その意味で「礼儀正しかった」のだとも解釈できます。
今週のみずがめ座もまた、みずからの実践すべき行動規則やその影響について改めて見直し軌道修正していくことがテーマとなっていくでしょう。
みずがめ座の今週のキーワード
伝えることを楽しみ、楽しませること





