
しし座
ぼけにぼけを重ねてみる

「あーーーーーっ!」
今週のしし座は、『日常のごくささいな死の欲動』という言葉のごとし。あるいは、「取り返しのつかないことをする」経験の後に、視界の色彩がよみがえっていくような星回り。
劇作家の宮沢章夫のエッセイ集『青空の方法』に収録された、「やりたくなる」という文章の一部を引用してみたい。
よく知られているように、これをやったらまずいんじゃないのかなあと思いつつ、ついやりたくなってしまうようなところが人にはある。たとえば扇風機がそうだ。だめだろうな、だめにきまってるんだと思いながら、ついやってしまう。
「扇風機の回る羽根の中に手を入れて痛い思いをする」
痛いのはもう最初からわかってるんだ。だが、やりたくなる。なぜかやってみたくなる。これを私は、「日常のごくささいな死の欲動」と名付けたい。で、奇妙なのは、「回転するもの」は、なぜかそれを刺激しやすいということで、そんなことをしたら取り返しがつかなくなると思いつつ、人はやってしまうのである。
誰しも子どもの頃や思春期の頃には、こんな記憶のひとつやふたつはあるのではないだろうか。「回転するもの」を周期的ないし定期的に訪れるものと置き換えれば、個人的には、台風が来るたびに自転車にのって地元で1番大きな坂の上までいって、雨が降るなか全力で駆け下りたものだったし、ほぼ毎日通っていた小学校の廊下にあった火災報知器のボタンも、一度だけ発作的に押してしまったことがあった。
吉田戦車の四コマ漫画集『伝染るんです』でも、和服を着こなした老紳士が「取り返しのつかないことでもするか」と言って、分解したビデオデッキにしっかりとかき混ぜた納豆をおもむろにぶちまけてから、「あーーーーーっ!」とショックを受けるという作品があったが、あれも「日常のごくささいな死の欲動」を満たしていたのだろう。
雨上がりに通る坂はいつもより輝いて見えたものだし、ジリリリリリという耳をつんざくような警戒音が鳴っていない廊下は平穏そのものでホッとした。
3月29日にしし座から数えて「旅」を意味する9番目のおひつじ座で新月(日食)を迎えていく今週のあなたにもまた、“いつもの日常”を飛び越えて「あちら側」へ突きぬけてしまうような瞬間が訪れていきやすいでしょう。
一番イキイキしているとき
社会不安が強まってくると、いわゆる「ケチがつく」ことを異様に嫌がったり、ひとつそういうことが起きると極端に動揺したり、簡単に投げ出してしまう人が増えてくるものですが、人間というナマモノをあつかう世界では、むしろ計画通りにいかないことが当たり前に起きてくるのではないでしょうか。
たとえば、雑誌『ヨレヨレ』で知られる「宅老所よりあい」の代表・村瀬さんは自身の経験を踏まえて次のように語っています。
とくに「ぼけ」のあるお年寄りはこちらの計画に全く乗ってくださらないし、それを真面目に乗せようとすればするほど、非常に強い抗いを受けます。その抗いが、僕たち支援する側と対等な形で決着すればいいのですが、最終的には僕らが勝ってしまう。下手をするとお年寄りの人格が崩壊するようなことになります。だから計画倒れをどこか喜ぶところがないと。計画が倒れたときに本人が一番イキイキしていることがあるんです。(伊藤亜紗、村瀬孝生「ぼけと利他(1)」)
つまり、想定外の反応に出会ったり、そうした状況に直面したりということは、他者の潜在的な欲動に耳を傾けるよき機会であり、そこで相手を発見したという感触こそが、本当の意味で誰かと関わるようになっていく上での分水嶺になっていくのだと。
今週のしし座もまた、計画を立てないというわけではなくても、計画どおりにいかないことにこそ、イキイキ生きていく上でのヒントがあるのだということを改めて胸に刻んでいくべし。
しし座の今週のキーワード
ささいな死の欲動をぶつけあう





