うお座
ひたすらもくもくと
椅子を拭く仕事
今週のうお座は、『教会のつめたき椅子を拭く仕事』(田中裕明)という句のごとし。あるいは、冷たい世界の只中で黙々とおのれの務めを果たしていこうとするような星回り。
日曜礼拝の参列者が去った後、雑巾か何かであの長椅子をもくもくと拭いているのでしょう。誰にもできるが誰もやりたがらない地味な仕事ではありますが、拭けば経年劣化ですっかりくたびれてしまっている木製の椅子の表面にも、かすかに艶がよみがえってきます。
しかし、考えてみれば牧師や神父の仕事というのも、こうした雑務に通じるところがあるのではないでしょうか。すなわち、日々の生活の中でくたびれ、疲弊のあまり余裕がなくなってしまっている人びとの心の水面を少しでも静かにしたり、逆に何も感じなくなるほどに神経が鈍磨していた人の心にそっと潤いをもたらしたり。
もしかしたら、「椅子を拭く仕事」というのは上から納期や方法論が規定されたタスクや賃金が発生するような仕事ではなく、ボランティア的に行われる奉仕に近いものなのかも知れません。
外気も冷たく、床も冷たく、椅子も冷たい。どこまでも冷たさが広がっていく世界の中で、しかし世界がある限りこうした奉仕は誰かの手によってひたすらもくもくと果たされていくのでしょう。
12月9日に自分自身の星座であるうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした永遠に続くとも思われる「奉仕」の行の連鎖に、改めてみずからを投じていくことがテーマとなっていきそうです。
村上春樹の「コミットメント」
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』のなかで、村上は自身にとって転換点となった『ねじまき鳥クロクニル』について、「コミットメント」とか「取り戻す」いうことが関係しているのだと語っています。
コミットメントというのは何かというと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、僕は惹かれたのだと思うのです。
この本の別の箇所で、河合隼雄は「昔の夫婦というのは、ただいろいろのことを協力してやって、それが終わって死んでいって、それはそれでめでたしだった」けれど、「いまは協力だけではなくて、理解したいということになってきている」と述べた上で、「理解しようと想ったら、井戸掘りするしかしょうがないですね」と言っています。
たぶん、そういう「井戸掘り」というのは、「よし、掘るぞ」と思って能動的に掘っていくというより、気付いたら掘り始めていて「あれ、このまま掘っていったらどうなるんだろう」とか、不安になったり、怖気づいたり、どこか嫌になってしまったりしているものなのではないでしょうか。大抵の人はそこで投げ出しますし、それはその人が悪い訳ではない。けれど、まれにそのまま掘り続けてしまうという事態がある。
今週のうお座もまた、そんな井戸掘りにいつの間にか精を出している自分に気付いて、不思議な気分になっていくかも知れません。
うお座の今週のキーワード
気付いたらすでにやっていたこと