
うお座
霊的同伴ということ

覚悟をもって贈る
今週のうお座は、覚悟を伴った贈与と奢侈のごとし。あるいは、連綿と繰り返されてきた贈与の連鎖に何らかの形でコミットしていこうとするような星回り。
フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは著書『呪われた部分』において、生命体としての個体というのは、太陽光に由来する無限の贈与に対し、必要に応じた欲求のみに留まるということはなく、成長や生殖といった過剰なエネルギーを消費していく存在であるとして、次のように述べました。
真っ先に目につくのは分裂生殖が予告したもの、すなわち分化であり、それを通じて個的存在はみずからのための成長を断念し、個体を増やすことによって成長を生命の非個体性へ移し変える。なぜなら、もともと性は貪婪な成長とは異なるからだ。よしんば、種に関して眺めるとき、それは一つの成長のように見えるにせよ、原則的には、やはり各個体の奢侈(度を過ぎてぜいたくなこと)であることには変わりない。この特徴は有性生殖においていっそう際立っており、そこでは生み出される個体は―そしてあたかも他者に与えるように、それに生命を与える個体からはっきり分かたれている。
ここでバタイユは、生殖を「奢侈」と捉えており、またあたかも「贈与」であるかのように論じてもいます。つまり、役に立つか立たないかといった有用性に還元しえない事象であり、ここで言う贈与とは、みずからが用いることができるはずだったエネルギー=富を、2度と返ってこないという覚悟をもって贈る(消失する)ということに他ならないのです。
考えてみれば、私たちはそもそも個として誕生してくる以前に、競争相手でありチームメイトであり分身でもある無数の精子とただひとつの卵子との和合によって創りだされた受精卵としてあり、その前提には必ず生殖があった訳です。
3月7日にうお座から数えて「基盤」を意味する4番目のふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分ひとりで頑張ろうとする代わりに、グループでの努力ということを意識していきたいところです。
ダンテとウェルギリウス
例えば、13~4世紀の大詩人ダンテはその代表作『神曲』で知られていますが、この作品は人生の半ばを迎えた彼自身が、ある日暗い森の中に迷い込み、そこで地獄に入ってから抜けていくまでの壮大な遍歴譚の体裁をとっています。
そしてダンテがひとり暗い森で絶望していた際に出会い、自身の導き手となってもらったのが古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスの魂(影)でした。
この先輩詩人は、地獄や煉獄において、ダンテが怪物や亡霊や難所にぶつかって心が挫けそうになるたびに叱咤激励し、背中を押してくれ、そのおかげでダンテはなんとか自分を見失わずに済んだのでした。
ただしそれは、単に幸運に恵まれたということではなく、ダンテが初めて会ったにも関わらず、自分の背中をあずけられるほど、ウェルギリウスのことを敬愛し、みずからの魂をその交流に開いていくことができたからこそ成り立ったという意味で、バタイユ的な意味での贈与の連鎖の一環なのだとも言えるかもしれません。
今週のうお座も、共鳴の対象がどのようなものであれ、関わるならダンテとウェルギリウスくらい深く交わる気があるのかどうか、今1度自問してみるといいでしょう。
うお座の今週のキーワード
1人の人が他の1人の人の霊的生活に同伴し、その成長の歩みを助けていくこと





