
ふたご座
島の可能性の話

海の果てに浮かぶ島々
今週のふたご座は、イースター島についてのグルニエの注釈のごとし。あるいは、人間の究極的な孤立をめぐる寓話を体現していくような星回り。
ジャン・グルニエはそのエッセイ集『孤島』の中で、17世紀なかば、当時の西欧世界ではまだ未知の領域であった太平洋を探検したキャプテン・クックの綴った『航海記』を引用する形で、イースター島について次のように描写しています。
その島は、頭蓋骨と骨が散在する一つの広漠とした墓場にすぎなかった。しかし、その島を幻想的にしているのは、消え去ったどんな民族がそれらを製作したか、またその理由もわからない五百の巨大な群像である。そんな度外れに大きい偶像のことが語られたのを、私がそれまでにまだ聞いたことがなかった。それらは、目まいのするような高さをもった島の海岸の上に打ちたてられていて、旅行者をひどくおそれさせていたのであった。
そして、グルニエはここで唐突に、自身がつむいだ物語とは直接関係のない、短い思弁的な注釈を加えているのです。
いろんな島のことを考えるときに人が感じるあの息づまるような印象は、一体どこからくるのか?それでいて、島の中より以上に大洋の空気、あらゆる水平線の自由に開けた海を、人はどこにもつのか?それ以上にどこで人は肉体の高揚に生きることができるのか?だが、人は島ileのなかで、「孤立isole'」する(それが島の語源isolaではないか?)。一つの島は、いわばひとりの「孤独の」人間。島々は、いわば「孤独の」人びとである。
おそらくグルニエは、太平洋の最果てに浮かぶイースター島のような孤島や孤島的状況を、決して孤独や封鎖の隠喩と見なしていた訳ではなく、大陸からの分離と再誕生の文脈で、人間にとって始原的な再創造に向けての特別な場、何か思いがけない風が吹く機会として捉えていたのでしょう。
3月29日にふたご座から数えて「ネットワーク」を意味する11番目のおひつじ座で新月(日食)を迎えていく今週のあなたもまた、新しい誕生を産み出し続ける「島」の可能性にみずからを重ねていくことになるはず。
ルソーの『学問芸術論』
それまでほとんど無名だったルソーは、38歳の時に「学問と芸術は習俗の純化に貢献したか否か」という題目に対する懸賞論文において、啓蒙主義全盛の社会情勢下にも関わらず、大胆にも学問や芸術こそ人々を退廃させたのだと否定的な論陣を張ることで、一躍有名になりました。
彼はそこで学問の進歩こそが傲慢な精神や贅沢の蔓延をもたらし、18世紀半ば当時の学問芸術を単なる貴族の自己満足でしかないと、厳しく糾弾したのです。とはいえ、彼はそこですべての学問を否定した訳ではなく、知識の教育ではなく徳の教育こそが必要であり、そのためにはなくても困らない玩具のような「貴族の学問」をいったん捨てて初めて、「誠実や歓待」などの本当に必要な徳の大切さが身に沁みてくるのであり、それを促す限りにおいて学問や芸術は意味を持つと考えました。
確かに、学問を身につけたり、何かしら“専門家”然としてくると、自然や世界の在り様への畏敬の念を失っていくというケースは現代でも珍しくありません。むしろ、「自然に還り良心の声を聴くべきである」というルソーの主張は、AIやネットで簡単に大量の情報を得られるようになった現代においてますますその重要性が増しているようにも思えますし、これも大陸=合意的現実とのつながりを切断することで再誕を遂げた「孤島」をめぐる寓話の1つなのだとも言えます。
今週のふたご座もまた、より生き物としての自分本来の状態へと戻っていこうとする作用が働いていきやすいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
それ以上にどこで人は肉体の高揚に生きることができるのか?





