おうし座
思考の分母
不可解に直面した時ほど…
今週のおうし座は、自ら考える「理性の道」のごとし。あるいは、安易にそれらしい答えを差し出す代わりに、みずからの姿勢で語っていこうとするような星回り。
いつの時代も、大衆は惑うものであり、認識よりも救済を求めるもの。だからどうしたって面倒な手間のかかる事態の正確な把握よりも、何をどうすればいいのかという具体策を知りたがる。その結果、ネットやSNSには根拠が薄弱な誤情報や、でたらめなフェイクニュースがあふれかえり、それに流され翻弄される人が後をたたない。
けれども、そういう人たちを安直だとなじっている者とて、そもそも「生きて死ぬ」とはどういうことなのか、どこに両者の境があるのか、ということをわかっていないという点では、根本的には変わらないのかも知れません。
例えば、哲学者の池田晶子は2003年刊行の『あたりまえのことばかり』に収録された「生命操作の時代」というエッセイの中で、次のように述べています。
科学か宗教か、という古典的な二者択一を越える第三の道は、理性の道である。何よりまずそれが必要だと私は思う。科学と宗教の、もしくは西洋と東洋の「融合」といった道を先に唱えるのは、同じくらいに安直である。とにかくまず自ら考えられているのでなければ、そこに何を持ってこようが同じことの繰り返しだからである。
池田は、別の個所で「知性」ではなく「理性」をはたらかせることの大切さを強調しています。知性ということなら、かつてのオウム真理教などは高学歴の理工系の幹部信者が多かったことで知られていますが、理性の働きというのは学歴や知識の多寡とは無関係であり、あくまで「永劫の不可解に直面した人類が、その絶句と引き換えに手に入れた」事象一般への洞察であり、「それへの態度のとり方」をいうのだと。
11月20日におうし座から数えて「世間との関わり方」を意味する10番目のみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、大衆に向け「信じるな、まず考えなさい」とメッセージを発し続けた池田のように、語るべきことを自身の背中で語っていきたいところです。
すぐには役に立たないけれど
例えば、2020年4月に歴史上初めてブラックホールの撮影に成功したことが世界中でニュースとなった際、インタビュアーが研究者に「ブラックホール撮影成功が何の役に立つのか?」という質問をぶつけていた場面がありました。
研究者の方は苦笑いしながら、「今すぐには役に立たないでしょう。ただあえて言えば、太陽系だけでなく銀河系について知っていくことで、我々がどこからきたのか?私たちはなぜここにいるのか?といった人類の自然への理解を深めることにはつながっていくのではないか」と語っていました。
とても謙虚であると同時に研究者としての矜持がうかがえる返答でしたが、これは言い換えれば、自然科学だとか経済とか、色々な物事をひっくるめて考えていくことのできるような思考の「分母」を広げていこうとしているわけです。
今の教育というのは、あまりにも細分化されてしまって、いわゆる「リベラルアーツ」や教養というものが軽視され、「夕焼けはなぜ赤いんだろう」とか「宇宙はどういう形をしているのか」といった話も「蘊蓄」の1言で片付けられがちですが、これも分母(世界観の深まり)ではなく分子(個人的に有利な点)を大きくしていこうというような、自我肥大的な発想を裏打ちしているのだと言えます。
今週のおうし座もまた、分子を少しでも大きくしてええかっこしいをするよりも、いかに思考の分母を大きくして「理性の道」を作っていけるかを大事にしていくべし。
おうし座の今週のキーワード
「自ら考えられているのでなければ、何を持ってこようが同じことの繰り返し」