
てんびん座
当り前のことを問い、応えようとすること

マイナスの救済とその神秘
今週のてんびん座は、『論理哲学論考』に秘められた呪力のごとし。あるいは、みずからの言葉の限界と、それでも感じずにはいられない神秘とのあいだで、深い沈黙にとらわれていくような星回り。
ウィトゲンシュタインという暗鬱な、それでいて奇妙に力強い情熱を感じさせる風貌をした哲学者が、生前唯一刊行した著作の、古代の言葉で綴られた民謡のような言葉の羅列の一部を引用してみよう。
「五・六 私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。」(野矢茂樹訳)
こうした一見するとその意味するところがよく分からない、まるで呪文のような言葉に、どういうわけか、人は激しく胸を揺さぶされることがある。
特に、この世のどこにも自分のいるべき場所を見出すことができずにいたり、ささやかな居場所を守るべくほとんど身悶えせんばかりに苦闘している時などは、ほとんど救済の言葉のように感じられるかもしれない。
とはいえそれは、希望に向けて豊かな意味を与えてくれるプラスの救済というより、カミソリのような鋭さで頭の中の雑音を切り落としていくようなマイナスの救済である。
六・四三二 世界がいかにあるかは、より高い次元からすれば完全にどうでもよいことでしかない。神は世界のうちには姿をあらわしはしない。
六・四 永遠の相のもとに世界を捉えるとは、世界を全体として―限界づけられた全体として―捉えることにほかならない。限界づけられた全体として世界を感じること、ここに神秘がある。
3月29日にてんびん座から数えて「問われるべきこと」を意味する7番目のおひつじ座で新月(日食)を迎えていく今週のあなたもまた、他者に向けた言葉を豊かにすることより、自身と内なる神とのあいだにほとばしる言葉にならない何かにスーッと焦点が合っていきやすいはず。
“神のみこころ”に即す
限界があるのは、神が私たちを愛している証拠である(『重力と恩寵』、シモーヌ・ヴェイユ、田辺保訳)
内面に沈黙をつくりだし、いっさいの欲望、いっさいの意見に口をつぐませ、愛をこめ、たましいのすべてをあげ、言葉にはださずに、「みこころの行われますように」と思いをつくすとき、次にこれこそどうしてもしなければならぬことだと、あやふやさの一点もなく感じられることがあったら、(もしかすると、ある点では、これも思い違いかもしれないのだが……)それこそ、神のみこころである。(同上)
人間はおそらく「神のみこころ」そのものを知ることはできませんが、神への祈りや真摯な問いかけを通じて、個別的な事柄や思惑を頭の中から祓っていくことはできるはず。
少なくとも、どんな言動、あるいは決断を選択していくべきかをはっきりさせていくことはできる。じっと目をこらして、観察し、自分に問いかけることを怠らなければ。
そうした「当たり前のことを真面目に問い、応える」ということが、今週のてんびん座にとって1つの指針となっていくでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
(みこころの行われますように)





