てんびん座
いびつでいいじゃない
わが愛すべき世界観
今週のてんびん座は、『狐火や髑髏に雨のたまる夜に』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、一般受けなどしなくても独自の路線を突き進んでいこうとするような星回り。
現代では大晦日に王子などで狐の行列がすっかりイベント化されていますが、作者の生きた江戸時代にはまだ狐憑きなどが信じられていて、「狐火(きつねび)」もまたなまなましい怪異として怖れられていたはず。
とにもかくにも、寒さの凍える冬夜の山野の闇のなかで、狐火が燃えていたのだという。そういえば、墓場の片隅で、川の向こう岸で、狐に化かされかねないような村はずれで、怪しげな灯りがちらついていたのは、決まってこんな冷たい雨の降る夜で、野に打ち捨てられたしゃれこうべに雨がたまっていたっけ。
そんな光景を見ていると、浮かばれない死者の残留思念や社会のはぐれ者たちの怨念がそこらを浮遊しているような気になって、気持ちが陰陰滅滅としてくるのだが…と。大意としてはそんなところでしょう。
しかし、この読む者の背筋を脅えさせるような句を詠みながらも、作者はどこかでこうした怪奇的な世界を愛していたし、だからこそそれを誰かと共有し、後の世にも遺そうとしたのではないでしょうか
11月20日にてんびん座から数えて「推し」を意味する5番目のみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、誰かの要望に応えることよりも、自分の好きや趣味をこそ最優先していくべし。
いびつさを愛でる
例えば20世紀前半のアメリカを代表する作家シャーウッド・アンダーソンに『ワインズバーグ、オハイオ』という短編集があります。
19世紀後半の牧歌的なアメリカの田舎町が産業化の波のなか徐々に変わっていく架空世界を舞台に、そこに暮らすどこか変わった住人たちを描いているのですが、冒頭で作者自身と思われるある作家が「いびつな者たち」についての本を書いているという描写があり、その本の構想について次のように述べられています。
世界がまだ若かった始まりの頃、数知れぬ考えがあったが、真理といったものはなかった。人間は一人でいくつもの真理を作り、それぞれの真理が多くの漠然とした考えの集まりだった。こうした真理が世界の至るところにあり、それもみんな美しかった。(…)処女性の真理があり、情熱の真理があり、富と貧困の真理があり、倹約と浪費の、不注意さと奔放さの真理があった。そこにたくさんの人びとがやって来た。それぞれが真理の一つを引っ掴み、とても強い者は十幾つもの真理をまとめてかっさらった。人びとをいびつにしたのは真理であり、老人はこの件に関して精緻な理論を作りあげていた。人びとの一人が真理の一つを掴み取り、自分の真理と呼んで、それに従って生きようとすると、その人物はいびつになる。そして、彼が抱いた真理は偽物になる。これが作家の考えだった。
実際、この小さな町の住人は、いずれも奇怪な、いびつな面を持っている人物として描かれてます。しかし、それは誰もが持っている心のひび割れであり、その意味では彼らの“いびつさ”の本質は「恐ろしい醜怪さ」に隠された「滑稽な愛おしさ」にあるのです。
今週のてんびん座もまた、ごく普通の暮らしを送りながら不安や孤独、疎外感などに苛まれる住人たちを丁寧に描いてみせたアンダーソンのように、自分の負の部分も含めて静かに受け入れていきたいところです。
てんびん座の今週のキーワード
「いびつな者たち」の一人としての自分