おひつじ座
ドロンします
猫の妖変性
今週のおひつじ座は、『冬空や猫塀づたひどこへもゆける』(波多野爽波)という句のごとし。あるいは、宙返りしてどこかへ消えてしまう忍術を使っていくような星回り。
作者のもつ猫に対する感覚がよくあらわれている一句。伸びをしたかと思うと、ひらりと塀にのぼって、音もたてずに一瞬のうちに消え去ってしまうさまは、まるで軽業師のよう。
人間のこさえた強固な境界線である塀も、猫にとっては自由に行き来できる道のようなものであり、それをつたえばどこまでも自分の足で歩いていくことができる訳で、その塀の上には冬空が雲を低く垂れて無限に広がっている。どころか、まるで忽然と消えた猫が煙に変化して、そのまま広い雲の中に隠れてしまったかのような錯覚さえ覚えます。
たとえ個体ごとに生物学上の雌雄はあっても、猫というのはすべからくどこか女性的であり、逆に犬はすべて男性的なところがある気がしますし、猫を愛する人というのはその女性的なものの有する柔軟性や妖変性を愛しているのかも知れません。
11月20日におひつじ座から数えて「垣根を超えたネットワーク」を意味する11番目のみずがめ座に冥王星が移っていく今週のあなたもまた、意地になって戦うのでも、歯を食いしばって頑張るのでもなく、さっと身をひるがえしていく猫のように変化していきたいところです。
「か身交ふ」
そういえば「どこ吹く風」という日本語がありますが、「吹く」という動詞を語源とするギリシャ語の「プネウマ」は「霊」のことであり、より一般的には「風」や「風のような私を構成しているエネルギーの流れ」とも言い換えられます。
そう考えると、いわゆる「霊感がやって来る」ときというのは決まっていったん「どこ吹く風」となって、先の句のように<私>がドロンと消えてしまうことに成功した後なのも至極当然という気がしてきます。
例えば、「考える」という日本語も「か身交ふ(かむかふ)」から来ていますが、最初の「か」には意味はなく、身をもって何かと交わり、境界線をあいまいにしていくことで、そこに新たな思考を生みだしていく、という意味がありました。
車の行きかう音や鳥の声、葉のそよぎに、月から漏れる柔らかな音楽。そういうものを見たり聞いたりしながら猫のようにほっつき歩いているうちに、外なる自然と内なる自己が交わって、親密な関係となり、そこでひとりで部屋の中で考えているだけじゃ思いつかないようなことが引き出されていく。
媒介としての身体と、風のようにゆらめく私。つむじを巻いては風にのってどこかへ吹き抜けていくとき、その風は身体を通して交わった者の思考をいつの間にか別次元へと連れ去っていくはず。今週のおひつじ座も、ひとつそんなことを念頭に過ごしていきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
風の時代?なにそれ?