
おとめ座
平穏無事で生きている、私たち

ゆるみとカオス
今週のおとめ座は、『いずこより来たるいのちと春夜ねむる』(細見綾子)という句のごとし。あるいは、阿呆になる瞬間をみずから呼び込んでしまうような星回り。
水蒸気をたぶんに含んで潤う「春夜(しゅんや)」は、完全な真の闇ではなく、ほのかな光彩がベールのように包まれて視界が白んでいるように感じられ、空気もひと肌の温度が伝わってくるようにどこかなまぬるい。
掲句の「いずこより来たるいのち」というのも、具体的な生き物のことを言っているというより、そうした夜の空気の生ぬるさやうっすらと視界に入ってくる明るさのようなものを、自身の皮膚やまぶたの裏で感じているということなのでしょう。
いや、そういう体感を通じておのずと心身も和らいだり、自他の境界線がゆるんでいくからこそ、結果的に春は出会いの季節になるのかも知れません。鶏が先か卵が先か。いずれにせよ、春は朝でもなく昼でもなく夜の時間帯にこそ、一刻一刻の時の流れの“ゆるみ”のようなものが強く感じられるのではないでしょうか。
おとめ座の人たちというのは、みずからの手の届く範囲内をきれいに整理整頓し、秩序をもたらしていこうという衝動が人一倍強いですが、だからこそ、時に手に負えないようなカオスに取り囲まれてしまったり、みずからカオスのなかに身を投げ入れていきたくなるような衝動に駆られてしまうところもあるはず。
3月29日におとめ座から数えて「融和」を意味する8番目のおひつじ座で新月(日食)を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたいつもの、ないしありうべき自分への反動のような衝動に拍車がかかっていきやすいでしょう。
互いを消費しあわないために
『悪魔の辞典』の日本語版の著者としても知られている別役実には、『現代犯罪図鑑』(1992)という著作もあり、そこにはこんな記述が出てきます。
ある種の人間は、理由なく「何もしないでいる」ことが出来ない。理由なく「何もしないでいる」と、それだけで罪悪感にとらわれ、苛々させられるのである。従ってその種の人間は、「何もしないでいる」間中、何故「何もしないでいる」のかということを、「言いわけ」として自分自身につぶやき続けることになる。そしてこの「言いわけ」が、時として「何もしないでいる」ことへの極端な見せしめのように作用して、「最悪の手段」を選択してしまうことがある。この彼の思いついた「窃盗」が、まさしくそれであった。
ここでは破滅指向の心性がうまく説明されていますが、こうしたいつも何かせずにはいられない類の人間というのは、たまたま「窃盗」をやめられたとしてもそこで終わりということにはまずなりません。「平穏無事に生きている」ことを不自然で、身の丈に合わないと感じてしまうがために、どこかで「ただ在ること」に慣れていかない限り、手を変え品を変え極端な選択を取ったり、「見せしめ」を続行していくはず。
平和だが何も起きない平坦な日常よりも、不幸に見えたとしても波乱万丈な毎日の方が心の隙間を埋めてくれるかも知れない。こうした心理は、しばしば共依存や共食い的関係の温床となっていることがありますが、そうした関わりを未然に防ぐためにも、ときどき「なにもしないでいる」時間を過ごすことも大切なのではないでしょうか。
その意味で、今週のおとめ座もまた、ただ息をして本当に必要なことだけをこなしていくだけの生活を心がけてみるといいかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
「何もしないでいる」ことをただ文字通り遂行してみる





