いて座
自我と自己の比率
大いなる循環へのコミット
今週のいて座は、『ゆつくりと西より雨や絵灯籠』(宇佐美魚目)という句のごとし。あるいは、思いに応えていくための方法論がおのずから明らかになっていくような星回り。
絵灯籠を灯したお盆の情景を描いた一句。私たちは天気が西から東へ移り変わっていくことを天気予報などで知っていますが、この句の「西より」というのは、科学的知識に基づいたものではなく、日本人が昔から感じ取ってきた信仰と思想が滲んだ感覚的な表現に近いはず。
そうであれば、ここでの「雨」とは単なる夏の夕立というより、はるか西方浄土から阿弥陀如来のみこころを乗せて流れ流れてやってきた雲が、この世を静かに濡らす雨なのだと考えてみてもいいでしょう。
そうした大きな思いに包まれながら、みずからもまた故人や先祖の霊を慰めるべく思いを灯籠にして流していく。その意味で、掲句は西から東、東から西へと繰り返されていくスケールの大きな循環へと改めてコミットしていくための通過儀礼を、作者なりの美意識を利かせたデフォルメで構成している一句なのだとも言えるかも知れません。
それはちょうどAIにイラスト描かせる際に、同じモチーフでもちょっとしたワードチョイスの違いによって、まったく異なるイラストが出てくるように、わずか一文字でも配置や表現が変わってしまえば、まったく違っていくものなのだと思います。
同様に、19日にいて座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のおうし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、改めて自分なりのやり方や美意識というものがどのようなものなのか、再確認していくことになりそうです。
より純粋な贈与を
通過儀礼というのは、自分の中でなんとなく想っているだけでは決して構成されることはありません。どこかで相応の覚悟をもって自分で自分にそのきっかけを与え、通過する意志を植えつけていくのでなければ、それは成し得ないのです。
多大なる自己には当然他人など存在しない為、
薬であれ毒であれ、与えることは得ることとなり、
得ることは与えることに因る。
それが循環という理、輪(和)の回り方である。
(橋龍吾、『銀河飛行』)
例えば新しい服を買うのであれ、神社でこれまで入れたことのない額をお賽銭箱に入れるのであれ、それが「多大なる自己」への純粋な贈与である限り、どんなものであれひとつの祈りなのであり、あなたがあなたのまま、大いなる自然の循環に与していくための儀式となっていくのです(逆に、そこに利己主義的な意図が入りすぎれば、それはもはや祈りではなく取引となる)。
その意味で、今週のいて座はそうした意味での儀式を執り行っていくべく、心して取り組んでみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
与えることは得ることとなり、得ることは与えることに因る