いて座
絶妙な塩梅を探る
分断と混乱の渦中にて
今週のいて座は、『百年後皆笑ひ者ビール注ぐ』(加藤静夫)という句のごとし。あるいは、大局的な視点から自分たちを見据え、応えていこうとするような星回り。
私たちはいま、公的な場でも私的な場でも、オンラインでもオフラインでも、ますます自制心を失った集団のように、非合理的で不愉快な言動を繰り返し、分断と混乱を極めているように思われます。
実際、日々飛び込んでくるニュースのヘッドラインを眺めていると、そんな言動の結果があふれており、私たちはそうした結果を見ていちいち振り回され、囚われてばかりで、もっと大きなところで自分たちの社会がどこへ向かおうとしているのか、そもそもこうした状況がいつから始まったのかさえ気にしていないかのようです。
掲句の作者は、自分を含めたいまの社会全体を見据えて「百年後皆笑ひ者」と書いたのでしょう。そして、ともすれば不安と敵意にハマりこみがちな自分たちの心理を「まあ落ち着け」と和らげるつもりで「ビール注ぐ」と結んだのかも知れません(それとも、集団的狂気をより加速させ、もう引き返せないのなら行く処まで行ってしまえという意図か)。
同様に、8月5日にいて座から数えて「集合的無意識」を意味する12番目のさそり座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者のごとく、どうしたら自分たちの混乱と分断とを和らげていくためのムーヴをとっていけるかということが問われていくでしょう。
あわいに立つ
いつの時代であれ、社会の先行きが見えなくなってくると必ず幽鬼悪霊のたぐいが数多く出現しては、複雑怪奇な世相を織りなすものと決まっていますが、そういう関わりが増えてくると、決まって多重の見せかけや裏切りに彩られた絶望的な陽性主義(他者への決めつけを独断的に行っていくことへの躊躇のなさ)とでも言うべき思想的特色が社会に漂ってくるように思います。
それはよく言えば、人間のもつ「業」の肯定であり、そこで生じてくる怪しい光を、みずからの衣装としてまとっていく際の不思議な高揚感の楽しみとも言えましょうか。ただ、今週のいて座の人たちはそうした風潮とはなるべくなら距離を取っていきたいところ。
それはつまり、簡単に「業の肯定」などもしなければ、むやみやたらな否定もしない、あるいは、得体の知れぬ物の怪や幽鬼悪霊に寄り添うようでありながら、ほっとくようでもあるような、絶妙な塩梅というものを探っていこうということでもあります。
今週もしどこかで「二者択一」を迫られたなら、できるだけそのあわいに立っていく姿勢や、そうさせてくれる関係性をこそ大切にしていくべし。
いて座の今週のキーワード
百鬼夜行の最中で