おひつじ座
どうしようもなく私にやってきたもの
反復と実感
今週のおひつじ座は、『曼殊沙華女には紐あまたあり』(三好潤子)という句のごとし。あるいは、昂ぶる自分をもう一人の自分が見つめていくような星回り。
女にまといつく「数多(あまた)の紐」とは、おそらく人生を通して結びついていく男たちとのさまざまな縁やゆかりのことでしょう。それをみつめるその眼は、醒めていれば醒めているほどに淋しく、もの悲しい。だからこそ、その淋しさや悲しさは、ひととき昂ぶる心に身をまかすことでかろうじて癒やされる。
醒めた眼から昂ぶる心へ、昂ぶる心から醒めた眼へ。こうした反復を繰り返しながら、その繰り返しのたびに、この俳人はいのちの輝きとも言うべき生の実感を燃焼させたのではないでしょうか。
同じ作者の別の句に『響きあふものあり吾(われ)と曼殊沙華』という作品もありますが、少なくとも秋も深まるなか真っ赤な花を咲かせる曼殊沙華に、作者は自分を重ねていたに違いありません。
9月26日におひつじ座から数えて「決定的な関わり」を意味する7番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ生の実感が燃え上がるような相手を選び、開かれていくべし。
ヒンディー語の与格
ヒンディー語では、「私はうれしい」というのは「私にうれしさがやってきてとどまっている」という言い方をするのだそうです。つまり、「私は」ではなくて、「私に」で始める構文があって、それを「与格」といって、これが現代語のなかにもかなり残っていて、「私は」と「私に」のどちらで始めたらいいのか初学者は非常に混乱するのだとか。
しかし、「私は」といったある行為を自分の意志によって操作しているという観念は、たとえば「私は〇〇というアイデアを思いついた」みたいな事態一つ取ってみても、本当にそのアイデアが私に起源を持つのかは疑わしいと言わざるを得ないのではないでしょうか。
逆に「私に」というのは、「(ある種の不可抗力によって)〇〇が私の元にやってきた」という現象を指している訳で、それは「風邪をひいた」とか「恋が芽生えた」といった事態を前にしたとき、私が意図的にそれを抱こうとしてそうなったのではなく、やはりどうしようもなく私にやってきてしまったと受け取るのが自然な場合は案外多いのではないかと思います。
ただ、それがどこからやってきたかというと、インド人にとってはそれが神々という訳ですが、日本人であればそれは先祖の因縁や、森の奥の暗がりである方がリアリティがあるかも知れません。今週のおひつじ座もまた、何かと「私に」という構文において自分の直面している事態を言い表してみると腑に落ちやすいかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
自分に素直になっていくために