おひつじ座
逃走的知性を磨く
みずから進んで奴隷になる人たち
今週のおひつじ座は、ラ・ボエシの『自発的隷従論』の一節のごとし。あるいは、改めて自分が心から拠り所にして従っているものとは何なのかを問うていくような星回り。
『エセー』を書いたモンテーニュの親友で、16世紀フランスの夭逝した一法官ラ・ボエシは、16歳ないし18歳のときに『自主的隷従論』という論文を書き上げました。
その中で彼は、王政だろうが民主政だろうが、いつの時代も少数者による多数の支配があり、圧制が維持されてしまうのは、そうした権力支配に寄生しそこから利益を得て追従している人びとがいるからであって、彼らの隠れた原動力である「臆病と呼ばれるにも値せず、それにふさわしい卑しい名が見当たらない悪徳」に対して「自発的隷従」という名を与え、掴みだし、見えるようにしたのです。
ラ・ボエシいわく、自発的隷従の原因は習慣と教育であり、「みずから進んで奴隷にな」っている人というのは、そうすることがあまりに自然となっているため、もはや従属を従属として意識せず、自分たちこそ「自由」を得ていると思い込み、権威から認められることを名誉とし、権威に近づくことを誇りとして「従属を抱き締めている」のだと。
これは例えば、戦後のアメリカと日本の関係、特に日本の政界・財界などのエリートたちだったり、脱サラや一発逆転を経てYouTuberやインフルエンサーなどへ転身し、みずからのサクセスストーリーを大真面目に語る若者たちなどを思い浮かべれば、今日でもまったく古びていない核心的な指摘だということが分かるでしょう。
27日におひつじ座から数えて「習慣の再調整」を意味する6番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからを権威づけるために「自発的隷従」に陥っていないかどうか再確認していくべし。
「非意味的切断」
高度に情報化された現代社会では、“賢く有能な”人ほど情報の取捨選択に時間と手間をかけてから行動に移していこうとするものですが、そうした「自分の運命は自分でコントロールする」とでも言いたげな意味の過剰さや「意識の高さ」にすっかりくたびれてしまっている人もかなり多いように感じます。
この点について、哲学者の千葉雅也はきちんとした自覚に基づいた理知的な行動の中絶を「意味的切断」と呼ぶ一方で、「非意味的切断」ということについても言及しています。
すぐれて非意味的切断と呼ばれるべきは、「真に知と呼ぶに値する」訣別ではなく、むしろ中毒や愚かさ、失認や疲労、そして障害といった「有限性」のために、あちこちに乱走している切断である。(『勉強の哲学―来るべきバカのために』)
そして興味深いことに、千葉は現代社会では後者の「非意味的切断」こそが重要なのだと指摘した上で、それを「そうでなかった自分に成る」ためのテクニックとして肯定的に活用しようと畳みかける。
私たちは、偶然的な情報の有限化を、意志的な選択(の硬直化)と管理社会の双方から私たちを逃走させてくれる原理として「善用」するしかない。
今週のおひつじ座もまた、「自分が求めていたものを得る」ために必死になろうとするのではなく、むしろ見知らぬ自分になっていくための行為として勉強に淡々と励んでいくべし。
おひつじ座の今週のキーワード
自発的隷従の原因は習慣と昔受けた教育⇒定期的に習慣を見直し、自己教育に投資すること