isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2020年下半期の運勢も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
人生はあの世への散歩道
今週のおひつじ座は、特別な光を求めることなく、ただ闇のなかを進んでいくような星回り。
野口晴哉によると「人間が生きることは苦しむためであり、向上とは苦しむことを拡げること」。これはある種の逆転の発想で、失敗しないように“賢い”頭が体を“コントロール”ないし“マネジメント”しようとするほど、その知恵のためにかえって決断と実行を失うことで人として眠ってしまい、そうしてる間に気が抜けてしまう、つまり不養生に陥るのだと指摘します。
人間には先など見通すことはできず、自分の人生も、世の中のことも知り尽くすことはできないし、決して判らない。そのことを本当に判った人だけが、闇のなかでも光を求めず、また頼らない。いわく、「その足のおもむくままに、大股で闊歩している。彼はその内なる心で歩いて」いくことができるのだと言うのです。
今週のあなたもまた、自分の内にまあるい満月に浮かんでいるかのごとく、ただポカンとして安らいでいきたいところです。
今週のおうし座の運勢
月の薄明
今週のおうし座は、ものに憑かれていくような星回り。
「颱風の胎内に入る燭(しょく)の火よ」(三好潤子)という句で使われている「胎内」とは、なにも女性の身体の子宮のことだけを指すとは限りません。霊地にある洞穴や窪みもまた自然の「胎内」であり、そうした場所というのはスマホのマップ機能で簡単に行けるような場所では決してないのです。
掲句の見どころは、隔絶した他界や無明地獄のごとき台風の中の世界を、作者がいっそ懐かしく、心惹かれるように感じて、蝋燭の灯りをもって記憶の底へ底へと追い求めていこうとしている点にあります。
何かに憑かれるというのは、こういうことを言うのでしょうけれど、そうした瞬間というのは、いつだって「もののはずみ」で、「たまたま」訪れて、しばしば「なつかし」く感じられるものなのかもしれません。今週のあなたもまた、長いあいだ忘れていた記憶や感覚を何かしら取り戻していくことができるはず。
今週のふたご座の運勢
ミの解体と交換
今週のふたご座は、容易に操作可能な従順体から、繊細かつ溌溂とした野生体への移行を促されていくような星回り。
古代世界や中世において、自分自身とその持ち物とはきわめて強く結びついていました。物と物との交換や贈与互酬が繰り返されると、同じ共同体内の絆が強く密接になりすぎてしまい、それでは交易が成り立ち得ず、物自体の交換を可能にするために「市」という手続きが設けられるようになっていきました。
市が立つのは、大樹が立っている場所や虹が立つ場所。そのほかに、河原や中洲、浜、坂、山の根など、自然と人間社会との<境>や、神仏の世界と俗界の<境>で、聖なるものに結びついた場が選ばれました。
そこに入ったものは、俗界からいったん縁が切れて神のものになる。それゆえ、後腐れなく物を物として相互に交換していくことができた。逆に言えば市での交易というのは、神を喜ばせる行為でもあった訳です。今週はそんな「市」に自分自身の生身の身体を立たせて、これまでいたのとは別の身体図式に慣れさせていくような、そんな感覚が久々にしっくりきそうなタイミングと言えるでしょう。
今週のかに座の運勢
私と私
今週のかに座は、堂々たる孤独を見つけていくような星回り。
「一つ置く湯呑の影の夜長かな」(深見けん二)という句で詠まれているのは、秋の夜更けの情景です。傍にある湯呑みが一客であること、さらに湯呑みにも影があることに不意に気付き、そこでは、ふだんなら見えないものが見える静かな時間が流れている。孤独と言えば孤独なひととき。だが、それも悪くない。
ひょっとしたら、自分よりもずっと深い孤独の境地にいたのかも知れない湯呑みを見て、そう自然と思えてきたのでしょう。俳句の「俳」という字は「人」に「非」と書きますが、これは人が常識的には別に驚きもしない、何も感じないところにポコッとそこに穴が開く、それをやることが俳句なんです。
いわば、非ずの上で在るという孤独ということの本質に、この句はふっと開けているのです。今週のあなたもまた、どこかで腰が据わっていくような、この世界に自分が在るという感覚の深まりを感じていけるかもしれません。
今週のしし座の運勢
想起と哲学
今週のしし座は、「役に立つこと」の追求から「真実と共に生きること」の追求へと改めて舵を切っていくような星回り。
「多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しく思ひ出す事が出来ないからではあるまいか」という小林秀雄の言葉を借りれば、今週のしし座はまさに心を虚しくして、ただ自分にとってかけがえのない事実を想起していくことができるかどうかが問われていくはず。
消えてなくなったら寂しい、思い出せたら嬉しい、そんな当たり前の感情を、しばしば私たちはつまらない理屈や見栄で台無しにしてしまいます。先の言葉の前に、小林は「思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだらう。思ひ出さなくてはいけないのだらう。」(『無常という事』)次の一文を添えています。
今週あなたは、何を思い出すのでしょうか?哲学するとは、まずもってそうした類の想起なのだということを、今週は胸に刻んでいくといいでしょう。
今週のおとめ座の運勢
運命を愉しむ
今週のおとめ座は、妨げをこそ楽しんでいくような星回り。
「月の雨こらへ切れずに大降りに」(高浜虚子)という句で詠まれているのは、せっかくの秋の夜空に冴えわたるはずの月が、雨が降っていて見えない情景。月を見えなくさせている雨に集中して詠まれた一句で、雨がやむかと期待していたのに…という思いがあるはずですが、それだけでは終わらないところがじつに面白いのです。
「こらへ切れず」とは、それまで耐えていたものが勢いよく行動を起こすさまを表す言葉。これは人間に遠慮して降らないよう我慢していた雨の立場に立っている訳です。つまり、その雨に思いがけず興じてしまう作者の胸のはずみが、自分でも意外なほど期待が外れた拍子抜け感を凌駕していったということなのではないでしょうか。
今週のあなたもまた、普通ではいられない状況や自分自身の運命をどこまで楽しんでいけるかがテーマとなっていくはず。
今週のてんびん座の運勢
業に選ばれる
今週のてんびん座は、振り切ろうとしても振りきれない業のようなものに選ばれていくような星回り。
「旅人とわが名呼ばれん初しぐれ」(松尾芭蕉)は、『笈の小文』の旅に出ようとした際の餞別会で詠まれた句。とはいえ、名残りを惜しみつつ旅立っていくという感傷的ニュアンスよりも、弟子の土芳(とほう)が書いているように「心のいさましさ」を感じさせます。
初しぐれが降り始めた晩秋の定めなき空のもと、自分もまた定めなき旅に出ようとしている。人から「旅人」と呼ばれる身に早くなりたいものだ、と。そんなどこか世間や社会を意識した、芭蕉のアウトサイダー宣言とも言えるかも知れません。
世の人が旅人に、定住者は漂泊者に、インサイダーはアウトサイダーに、いつなんどき転じてしまうか分からないのが芭蕉の人生であり、芭蕉の望んだ生き方でもあったのです。今週のてんびん座もまた、どこか旅に出ていく芭蕉のように、どこかでいつ何時人生が変わってしまってもいいように、肚を決めて過ごすことを意識してみるといいでしょう。
今週のさそり座の運勢
身を軽くする
今週のさそり座は、これまでいた場所からそっと離れていくような星回り。
「月の人のひとりとならむ車椅子」(角川源義)という句は、作者最晩年の句。おそらく病室の窓から秋の月を眺めてこの句を詠んだとき、作者はすでにみずからの死を意識していたのだと思いますが、ここには恐れや狂気のようなものは感じられません。
その、そっと消えてしまいそうな存在感こそが、残される側の「眼」を逸らせたのでしょう。月の世界の人となろうとする無邪気さと、「車椅子」という境涯の結びつきが切ない一句。淡々としみてくるような月光は、作者を車椅子から解放し、軽やかにその身をのぼらせていったのだと思います。
今週のあなたもまた、そっとどこか違う世界へと誘いにのっていくような、一つのトランスフォーメーションを迎えていくことになるはず。
今週のいて座の運勢
始まりとしての感動
今週のいて座は、みずからを圧倒するような相手にスッと惹かれていくような星回り。
芸術作品は感覚的に作られるもので、その場その場での感性によってしか説明できないものと誤解されがち。しかし芸術を理解するには、その芸術が生み出された時代や背景をきちんと理解していかなければなりません。そしてその意味で、芸術にいちばん似ているのは、人間でしょう。
美術史の良質な入門書である若桑みどりの『イメージを読む』では、「人間を一目見ただけでその威厳や美しさに戦慄するのはよくあることです」と前置きした上で、「でもわれわれが戦慄したのは、その人間の目の光や、身振りや、いったことばやしたことのせいなのです。人間は外観であると同時に複雑な意味の発信体なのです。」と述べられています。
確かに、美術品を愛でるコレクターが美術品が作られた時代や背景をうっとりと語るように、愛とは理解であり、理解したいと願うことは愛の始まりなのだと思います。あなたもまた、どこかでそうした始まりの予感に突き動かされていくことになるかもしれません。
今週のやぎ座の運勢
月下の石二つ
今週のやぎ座は、近いようで遠く、遠いようで近い。そんな距離感を味わっていくような星回り。
かつて寺山修司は『時代の射手』で、「人は恋愛を夢みるが、友情は夢みることはない。夢を見るのは肉体であるから。」と書きましたが、肉体よりも精神がまさりがちなやぎ座にとって、夢をみるのはやはり肉体ではなく精神の方でしょう。
そう、やぎ座にとって本来より自然と求めていきやすい関係というのは男女の縛りを伴ない、従ってその本質上決して長続きすることのない恋愛というよりは、男女という次元を超え、純粋に人と人として信用し合えるような友情に近いのではないでしょうか。例えば、『紅の豚』のポルコとジーナはちょうどそんな関係の一例と言えるかもしれません。
もしそっと身の周りを見渡して、そんな風に付き合っていける相手と巡りあえているのなら、その幸運にひっそり静かに浸っていくとみること。逆にまだそういう相手がいないのならば、まずそういう関係をできるだけリアルに自分の生活の中で思い描いてみるといいでしょう。
今週のみずがめ座の運勢
リアリティーの刷新
今週のみずがめ座は、違う音だけれど響きあっているという感覚を中心に据え直していくような星回り。
例えば、「私はインコである」と言うアメリカ大陸の先住民に対して、宣教師たちは「インコは鳥だろう。あなたがインコであるはずがない。あなたは誰か?」「いや、私はインコなのだ」という問答が繰り返される光景はしばしば見られました。
しかし、北アメリカの先住民たちには「レッドフォックス」という名前を持っているなど、自分たちの先祖と動物との間に共通性を見出しており、これは一オクターブ異なる「ド」の音同士が、違う音だけれど、響きあっていく。「あっ、これは同じ音だ」と感じられるのと似ているように思います。
世界は響きであり、この世界にある物事はすべて響きあっており、ひとつひとつは孤立しているのではなく、共鳴をつうじて繋がっている。そうしたホモ・サピエンスが出現した頃にもっていた古いマインドセットを彼らはまだ有していたのです。今週のあなたもまた、20年前のホモ・サピエンスの基本的な感覚と思考に立ち戻っていくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のうお座の運勢
ちっぽけだけれどそれでいい
今週のうお座は、なかば観念するようにみずからの境涯に安んじていくような星回り。
「月さして一ト間の家でありにけり」という句を詠んだ村上鬼城は、耳が不自由な聾者。どこか芭蕉の「一つ家に遊女も寝たり萩と月」という句を思わせる一句ですが、実際、作者は8人の娘と2人の息子を儲け子宝には恵まれた人でした。
掲句を詠んだのは大正4年、作者が50歳の頃。月光に照らされた「一ト間」の家を見て、今更ながら、これで十分じゃないか、ということに気付いたのです。その心には、世を生きているとついバラバラになりがちな身や心を、地球というひとつの家のもとに結びつけてくれる月が、さぞかしまあるく浮かんでいたのではないでしょうか。
今週のあなたもまた、我が身の置きどころのリアルな実情に改めて気付いていくことになるはずです。
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