おとめ座
無分別の知恵
白露のごとく
今週のおとめ座は、「白露や無分別なるおき処」(宗因)という句のごとし。あるいは、かしこまって道理をわきまえているような顔をしているよりも、無邪気なる無分別に身を寄せていくような星回り。
草の葉や、石の上など、どこにでも結ぶ玉の露。自分だってたまにはそんな「白露」のように、自由に、見境なく、振る舞ってみたい。作者のそんな声が聞こえてくるような一句ですが、時代は変わっても分別を重んじるという点では世間は変わっていません。しかし、今ではそんな分別の方こそがどこか胡散臭いものになっています。
作者は俳句を遊びと割り切っていた江戸時代の俳諧師ですが、もし彼がいまの時代に生きていたら一体どんな言葉を口にするでしょうか。あまりに無分別な世の中に憤慨して、まったく正反対の俳句や歌を作って無言のまま立ち去ってしまうかもしれませんね。
それもまた無分別ということの1つの在り方でしょう。
仏教では「無分別智」と言えば物事をすぐに区別して考えてしまうような妄想を離れ、真実に近づいている状態を表しますが、あなたの場合、「年がいもなく」何かをしてみることが、そんな無分別へと近づく第一歩と言えるでしょう。
プライドか幸福か
「優秀である」ことの価値がどんどん暴落していっている時代にあっては、才能や技能に優れている人ほど、使える歯車として社会や世間の中に深く埋め込まれ、消費財化されることで、本人の幸福度は下がる一方みたいな構造が顕著になっているように思います。
いくらSNS上で自分のつぶやきがが何千RTされ、インスタグラムに何百何千イイネがついたとしても。その根底にある実体験を痛みまで含めて分かち合ってくれる人間がその中にひとりもいなければ、情報が拡散していく以上に幸福は霧散するばかりでしょう。
今週は、自分がただ見栄を張って自分を大きく見せようとしているのか、経験の痛みを受け止めつつきちんと自分の財産にできているのかが、厳しく問われていくことになることでしょう。
つまらない見栄など、今週のうちに捨ててしまうのです。
今週のキーワード
俳句は遊び