おとめ座
<私>が帰するところ
夢とは何か
今週のおとめ座は、「夢よりも深い覚醒」へ。あるいは、「人生は夢である」という感覚を深めていこうとするような星回り。
ユダヤ神秘主義のカバラには、自然がみずからの姿をよく見るために自分自身を夢によって生み出したという考え方が存在しますが、私たち日本人においても「人生は夢である」という感覚は古くから社会や生活の根底に消えることなく継承され続けてきました。
それゆえに、夢というはかなくあやうい仮の生から脱して、彼岸や浄土で永遠の平穏を得ようというという動きも出ましたし、一方で、疫病などが流行った際により深い夢を見ることによって神意を得て、それを人々に伝えるのも古代において王(天皇)の重要な仕事でもありました。
仏教やシャーマニズムを援用しつつ、夢とは何かを深く掘り下げて論じたアーノルド・ミンデルの『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学―』では、私たちが夢にコミットしていこうとするのは、この世での嫌なことを忘れるためといった現実逃避的な動機付けだけでなく、<私>が帰するところに対して視点を深めようとしているからなのだと言います。
すなわち、「すべての物事がそこから生起する、分(節)化していない全体的な世界の感覚に注意を払うこと」で、私たちは「夢よりも深い覚醒」に至るのだ、と。
9月11日におとめ座から数えて「心的基盤」を意味する4番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの基盤を改めて確かなものにするためにも、こうした視点や理解はますます大切になっていくでしょう。
まるで“生きもの”のような宮殿
ここで思い出されてくるのが、シュヴァルの理想郷です。フランス南東部出身の農夫の息子で、さまざまな仕事を経て30歳で郵便配達夫となったシュヴァルは、43歳になったある日、配達中に石につまづき、気になってその石を掘り出したのだそうです。そのあたりの土地はかつて海底で、奇妙な形の石がごろごろしており、いざ注意を向けてみるとあちこちに想像力を刺激する形状の石が転がっている。
そうして石を集めるようになった彼は、やがて拾い集めた石で宮殿を建て始め、誰からも手伝ってもらわず、周囲から狂人扱いされつつも、33年間にわたって夢想の宮殿を作り続けたのだとか。実際にその理想宮を訪れた人によれば、それは次のようだったという。
最初私が受けたのは、建築という無機物よりも、今にも蠢き出しそうな、或る異様で、巨大な生き物、といった印象だった。石がすべて古色を帯びて黒ずんでいたことも、そういう印象を強めた。(…)宮殿を蔽う細部の夥しさは、人にめまいを感じさせる。(…)細部は到るところで溢れ出し、それ自身の動きに従って壁面一面を氾濫している。(…)熊、鹿、象、かわうそ、チータ、蛇、蛸、ペリカン、フラミンゴ、駝鳥、鵞鳥、鷲などありとあらゆる種類の生き物たち、人間とも動物とも鳥ともつかぬ怪物たち、椰子や、サボテンや、いちじく、アロエ、オリーブ、糸杉などの植物群、林立する無数のファロスのごときもの、粘土のしたたる石筍の連なり……。(岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』)
おそらく、シュヴァルにとって宮殿に氾濫する細部の一つひとつがリアルな夢であり、だからこそ、その全体から「巨大な生き物」のような印象を受けたのではないでしょうか。
今週のおとめ座もまた、他の誰が認めずとも自分にとって大切に感じられる価値を、少しずつでも積み上げていくことが大事なのだと、改めて思い直していくべし。
おとめ座の今週のキーワード
分節化していない全体的な世界の感覚