おとめ座
ああ、ちょうどよかった
蛙の目借時
今週のおとめ座は、『煙草すふや夜のやはらかき目借時』(森澄雄)という句のごとし。あるいは、外部からの聞こえてきた声に合わせて唱和していこうとするような星回り。
「目借時(めかりどき)」は春の季語で、正確には「蛙の目借時」という。春になってあたたかくなると、カエルが這い出してきて、やかましいほど鳴きはじめるが、その一方で、安定したあたたかさが獲られるようになってくる晩春は、とにかく眠い季節でもある。
折しも耳に入ってくる単調なカエルの鳴き声がさらに眠気を誘うのだが、俳句ではこれをカエルが人間の目を借りに来るのだとして、こんな季語にしてしまった。なんともとぼけた風味のあるユーモアだが、掲句では夜のなまめかしい夜風にのって、どこか色気のある情趣へと変調している。
色気もユーモアも煙草も、世知辛い世の中を渡り歩き続ける上で心強い味方になってくれるものだが、それを消費するのは簡単でも、生み出すのには多大な労力や技量の積み重ねが求められてくる。
おそらく、作者はそのことを肌身で感じているのだろう。それでも、春の夜空に浮かぶ月がそうであるように、できれば自分も「世知辛い」と感じている人間の味方であり続けたいものだと、ひとりごちていたのかも知れない。
4月24日におとめ座から数えて「受け取ったり渡したり」を意味する3番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの経験に基づいた俳味やユーモアを醸しだしていくことがテーマとなっていくはず。
「ああ、よかった。ペットボトルのお茶を忘れてきたから、おにぎりがホカホカだわ」
これは郡司ペギオ幸夫の『やってくる』で紹介されていた、著者自身が体験したエピソードに出てきた一言で、著者はその日、都内からほど遠い場所に出かけた際、昼食用にとおにぎり弁当とペットボトルのお茶を買って列車に飛び乗ったところ、せっかく買ったお茶をホームに置いてきてしまったことに気づいたのだとか。
自責の念にかられながらも、今さらどうしようもないと気持ちを落ちつけ、座席に座っておにぎりを食べることに。ところが、おにぎりを頬張った瞬間、著者の頭に冒頭のような思考が浮かんだのだ。
もちろん、お茶を忘れてきたことと、おにぎりがホカホカであることには、何の因果関係もない。著者自身もそれを結びつけることがおかしいと分かっている。にも関わらず、おかしいという理性の働きとは無関係に、そんな思考がやってきた訳だ。
そんな風に、私たちには時おり望んだ訳でもない意味をつかんでしまう瞬間があって、今週のおとめ座もまた、日頃の常識的な因果関係の枠組み(人間的な意味世界)をひょいと飛び越えて外部からやってくる意味の到来を経験していくことになるかも知れない。
おとめ座の今週のキーワード
外部からの思考の到来