おとめ座
意味を問うコミュニケーションという戦い
意味の分かりにくい人生をこそ語っていくこと
今週のおとめ座は、自身のor身近な誰かの人生の意味をめぐる対話の必要性について。あるいは、改めて「無意味な人生などあるだろうか?」と問うていくような星回り。
ナチスの安楽死政策(いわゆるT4作戦)に影響を与えたとされる著作に『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)があります。そこで語られていたのは、まず自殺の権利を擁護するところから始まって、より拡張された安楽死(助かる見込みのない者に加え、「“客観的”に見て生きるに値しないと思われる存在」の他者による自殺のほう助)を正当化していくというものでした。
これは、現代における反出生主義の代表的論者であるデイヴィッド・ベネターの「死は依然として悪いのだけれども、質が低くて完全に意味のない生と比較すれば、いくぶんましであると言えるかもしれない」(『生まれてこないほうが良かった―存在してしまうことの害悪―』)という主張とも繋がっており、しかも、一定程度の支持を得ているように思われます。
確かに、みんながみんな、アインシュタインや緒方貞子などのように、誰が見ても立派で、価値のある人生を送っている訳でないし、中にはとてもこれ以上生きる価値などあるのだろうか、と疑問に感じてしまうケースだってあるでしょう。しかし、だからと言って、人生の意味というのは、第三者的な立場から、ある種の絶対的な基準に基づいてその序列を決められるようなものなのかと質問されて、「イエス!」と答える人ばかりかと言えば、そうでないはずです。
むしろ、私たちは、みずからの人生の意味を、自分一人で決めることもできない一方で、直接的な関係を持たない第三者によって決められることもできないのではないでしょうか。
その意味で、4月2日におとめ座から数えて「再誕」を意味する5番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身や身近な誰かの人生の意味をめぐる共同的な構築に向けて、言葉をつむいだり、会話をしたりしていくことになるかも知れません。
自分以外のもののために戦うこと
ここで思い出される作品に、有川浩の『図書館戦争』があります。この小説の舞台は公序良俗を乱す表現を乱す「メディア良化法」が成立して30年が経ち、本の検閲が当たり前のように武力をもって行われるようになった架空の現代日本。そしてそんな検閲に対抗できる力をもつ唯一の組織として、日夜攻防を繰り広げ、「図書館の自由」を守っているのが「図書隊」であり、主人公はその新米女性隊員という設定。
なんとも行き過ぎた設定と思うかも知れませんが、今の日本社会の状況を鑑みるに、この作品はきわめて重要な問いを投げかけてくれているのです。それは、「本」に象徴される特定の人間の経験や知見、そしてそこから生み出された文化的コンテンツは、現実逃避の手段として利用される道具に過ぎないのか、それとも、その存在を守るために身を呈して戦うだけの価値があるものなのか、ということ。
ここではその答えを提示する代わりに、主人公の同期である柴崎麻子の名セリフを引用しておきたいと思います。
お膳立てされたキレイな舞台で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃ誰も露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないなら正義の味方なんて辞めちゃえば?
今週のおとめ座もまた、背筋をしゃんと伸ばして既に自分の一部であるところの誰かや何かのために戦っていくことができるかどうか、改めて胸に手を当てて考えてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
私たちの内側で起きている情報戦争