おとめ座
例の夢を叶えるために
病いの自覚
今週のおとめ座は、列をなす「子供部屋の奴隷たち」のごとし。あるいは、ある種の切実さをもって、「マトモ」と「ヘンタイ」、そのいずれかを選んでいくのかを自身に問うていくような星回り。
ダイエット依存症の女の子や腐女子など、そうした90年代以降の少年少女に見られる現象について論じた中島梓の『コミュニケーション不全症候群』は、次のようなことわりから始まっています。
私が一番怖いのはマトモな人です。私が一番キライなのは偉い人です。私が何より苦手なのは立派な主婦のかたと自信たっぷりのおっさんです。そういう人、つまりは由緒正しいお父さんとお母さん軍団のために私たちはこんなに苦しまなくてはなりませんでした。
ここでいう「私たち」とは、マトモでない人、マトモではいられなかった人のことであり、著者はそういう人たちに向けて次のようなメッセージを送っています。
ひとことで云えば、いまの世の中、ヘンタイにならんで生きてゆけるほうがどうかしてるんだぜ、ということです。また、ヘンタイの底に希望が見える、というようなお話でもあります
ここでいう「ヘンタイ」とは、他人に飼われるために、愛されるために、選ばれるために過剰適応してしまうまともな生き方とは別の、純粋に自分自身の楽しみを追求することができ、かつ自分の病いに或る程度自覚的な人たちのこと。
2月10日におとめ座から数えて「自己規律」を意味する6番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、もしどちらかで悩んでいるのなら、中島梓の次のような呼びかけに一度向き合ってみるといいでしょう。
私たちは誰だって本当は父殺し、母殺しを夢見ている子供部屋の奴隷たちだったのではないでしょうか
心の癖は子ども時代に形成される?
例えば、凶悪事件の記録などを調べていると、加害者がまだ児童期のころに形成された心の癖が、大人になってからおかした犯罪と強く関連している事例は非常に多いことに気が付きます。
しかし一方で、そうした分かりやすい事例に限らず、一般市民を自認する多くの人にも同じように「心の癖」が存在していて、みな多かれ少なかれ歪んだり抑圧されたりしているのだ、ということも忘れてはいけない点でしょう。
裁判員裁判では、これまでの刑事裁判のように長文の鑑定書は必要なく、誰にでも分かる平易な言葉で短くまとめられます。「子ども時代の不幸は、大人になったら自分の力で対処すべき」と考えている方が裁判員となることもあるでしょう。しかし歪んだ眼差しの交差は、真実を闇に追いやるのだということは、つねに念頭に置いておく必要があります。
結局のところ、自らの心の真実は、自分しか知ることができませんし、どんなに適切な手助けを受けることができたとしても、最後のところでは自分の手で救うしかないのではないでしょうか。
その意味で、今週のおとめ座は、果たして自分の心にどこまで誠実に向き合っていけるかということが改めて問われていくのだと言えます。
おとめ座の今週のキーワード
私たちは誰だって本当は父殺し、母殺しの夢を見ている