おとめ座
僕はお断りするね
毒杯をあおれ
今週のおとめ座は、毒としての感動のごとし。あるいは、得体の知れない領域で起こる<私>をめぐる地殻変動にすすんで関与していこうとするような星回り。
宮本輝の自伝的な小説『二十歳の火影』には、小説を読んだ際の感動について、「しびれ薬をしこんだ針のように、私の魂の奥深くの、得体の知れない領域に忍び入ってきた」と述べた箇所がある。
そう、感動は、なにも胸が熱くなったり、笑顔がこぼれたり、全米が泣いたりするばかりではなく、しばしばショッキングな体験として私たちのこころを死角から襲ってくる。あるいは、耐えがたいほどにくすぐったかったり、看過できないむず痒さを覚えたり、ピリッと刺激されるような皮膚感覚の感動というものだってあるだろう。
私たちはしばしば感動さえも定型化し、月並で紋切り型の分かりやすい感動じるしを量産しようとするけれど、本来それは思いがけず「得体の知れない領域」で起こり、往々にして劇薬のごとき危険性を孕んでいるものだ。
だから、誰に対してもおすすめできるものではないし、電子レンジでできる時短料理のようにお手軽に出来てしまうものでもない。フラットで、他愛もない時間の流れが、突如としてかき乱され、感覚は取り返しがつかないほどに転調する。
一言でいえば、感動は毒なのだ。そして、それをあおる覚悟がある者だけに贈られる栄誉のことを、私たちは分かったような顔をして「創造性」と呼んでいる。翻って、1月11日におとめ座から数えて「創造性」を意味する5番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたには、それだけの危険を冒すだけの準備が出来ているだろうか。以前の自分ではいられなくなってしまう準備が。
バランスを傾ける
例えば、聖人と呼ばれる人たちにしても、すごく頭が良かったり、特別な容貌に恵まれたから聖人になるのではなく、自らの信仰にのみ異常なほど忠実であったがゆえにそうなっていった人たちなのだ、ということを今週のおとめ座は知らず知らず実感していくことになるかも知れません。
毒のある人物を描かせたらピカ一の作家ドストエフスキーの代表作である『カラマーゾフの兄弟』の登場人物の中でも、ひと際異彩を放つ劇薬のような男イワンは次のように語っていました。
この壮大な塔の構築によって今まで見なかったようなどんなにすばらしい光景があらわれるとしても、それがただひとりの子どもにただ一滴の涙を流させずにはあがなえぬものなら、ぼくはお断りするね。
これはつまり、周囲の誰もが賞賛するような行為だとしても、ただひとりの子供を泣かせるものであるなら、すぐさま辞める。逆に、世界中の人が非難するような行為であっても、ただひとりの子供が笑ってくれるものなら、即座に実行に移すということでもあります。
今週のおとめ座もまた、そんなイワンの意見くらい極端に、自分なりのこだわりにエネルギーをかけてみるくらいでちょうどいいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
イワンの馬鹿