おとめ座
自分自身との折り合いをめぐって
うめき声とともに
今週のおとめ座は、業を見極める旅のごとし。あるいは、何だかよく分からないものに憑りつかれてきた自身の運命について、そっと手で探っていくような星回り。
生涯を数多の旅に生きた江戸時代の俳聖・松尾芭蕉の遺稿から旅の記をとりあげ、死後に刊行された『笈の小文』は、その冒頭から混迷の中に光明を見出していくためのドラマが満ちており、読む者に切々と訴えかけてくる独特の迫力があります。
百骸九竅(ひゃくがいきゅうきょう)の中に物あり。かりに名付て風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごとゝなす。
「百骸九竅」とは多くの骨と穴のあいた肉体のことで、「風羅坊」は芭蕉の別号で傷つきやすい心の意、また「かれ」は芭蕉自身のこと、「狂句」とは俳諧を指しています。すなわち、身の内に一つの抑えがたいものがあって、それがやがて生涯にわたり取り組むこととなったと述べているのですが、この後がさらに凄い。
ある時は倦んで放擲(ほうてき)せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたん事をほこり、是非胸中にたゝかふて、是が為に身安からず。しばらく身を立む事をねがへども、これが為にさへられ、しばらく学んで愚をさとらん事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして只此一筋に繋る。
芭蕉ははじめから俳諧師を目指していた訳ではなく、侍として出世することを願い、また、仏道に精神の充足を求めたが結局は俳諧が妨げになり、どちらにもなり切れなかったし、当時の俳諧もまだ新興のマイナージャンルに過ぎず、未来ある青年が生涯の仕事として志すようなものではありませんでした。けれど、芭蕉はこの旅を通してそんな俳諧を捨てきれないことをやっと受けいれ、俳諧に選ばれたのだという結論に達したのです。
8日におとめ座から数えて「探求」を意味する9番目のおうし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、芭蕉ほどいのちがけの旅をすることは難しくとも、それくらいギリギリのところで「徒手空拳の戦い」を展開していきたいところです。
繰り返し押し寄せる思い
1957年にイギリスの小説家ネヴィル・シュートによって発表された『渚にて―人類最後の日―』という小説があります。舞台は核戦争後の1964年で、北半球はすでに全滅し、南半球にいる主人公たちの身にもじわじわと終わりの日が近づきつつあるという設定。
状況としてはコロナ禍の今よりずっと大変な事態のはずなのですが、何が何でも生き残ってやると、危機に対してバリバリ戦おうというより、滅びに向かっていく世界の歩みがごくごく自然にそこに展開されていきます。
当然、ハリウッド映画のようなスペクタクルも、大々的なカタストロフもそこにはありません。その代わりに、すべての人類に等しく訪れるだろう終局を前に、ひとりひとりの暮らしと仕事ぶりが淡々と描かれ、それが逆に「死というものとどう折り合いをつけるのか」という問いを、繰り返される波の音のように静かに、けれど決定的な仕方で読者の心に残していくのです。
思うに「業」というのも、受け入れがたい現実を淡々と受け入れていこうとする時ほど、スッと片がついていくものなのではないでしょうか。今週のおとめ座もまた、そうした淡々とした描写を自身の日常に加えていくべし。
おとめ座の今週のキーワード
繰り返される波の音のように静かに、けれど決定的な仕方で