おとめ座
共同体の賦活を担う
刷新と生成
今週のおとめ座は、共同体に不可欠な存在としての「役小角(えんのおづぬ)」のごとし。あるいは、形骸化した共同体に風穴を開けて賦活していこうとするような星回り。
古代文学を専門とする西郷信綱は、『神話と国家ー古代論集ー』に収録された「役小角考」において、山林への亡命者=修験者の存在こそ成人式の原型だったとして次のように述べています。
試練を終えた若者たちは村にもどり、ふたたび共同体の生活のなかに統合されてゆく。共同体をもっぱら静止的なものと考えるのは、正しくない。共同体も単に“ある”のではなく、やはり絶えず生成し、“なる”のであって、恒常性と変化との相互関係が過程としてそこにも生きていた。
役小角は山中の洞窟に居たとされますが、西郷はそれも比喩的には母の胎であり、隔離の生活を典型化したものであると解釈した上で、共同体が内部で硬直していくのを防ぐために不可欠な新陳代謝を促すための原理の象徴として役小角を捉えたのです。
山中に隔離しきびしい試練を課す成年式の伝統形式は、大陸伝来の道教や密教の芳烈な影響を浴びるなかで、いわば永遠化され、山上の行者という新たな宗教者を生みだすに至った、といっていいのではなかろうか。成年式における隔絶の生活は、共同体の裂目である。その裂目に大陸伝来の教義が突入し、否定的な一つの飛躍は成就される。共同体との臍の緒が切れ、それからはみ出し、それと対立しさえするカリスマ的人格がこうして、村々を見おろす山中の孤独のなかで生誕する。それが役行者にほかならないと思う。
6月18日におとめ座から数えて「集団原理への同期」を意味する10番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、家庭であれ会社であれ、共同生活からの隔離や集団原理の否定としての孤独を改めて意識させられていきそうです。
「除け者にされているアタシ」
マツコ・デラックスがテレビで見かけないことがないほどの人気者になってから既に久しいですが、その絶大なお茶の間人気が一体何によって支えられているのかについて、本人は2014年に刊行された自著の中で次のように分析しています。
というわけで、「差別されているから笑われてるんだ」ということは、いつも意識しているわ。だから、皆さん、イジメてこなかったんだと思う。(…)このことを別の角度から言うと、テレビで重宝されるのは、差別されている存在だからなの。同性に言われたらシャクにさわるし、異性に言われたら傷つくようなことでも、その両陣営から除け者にされているアタシに言われたら、あっさり受け入れられるのよ。(『デラックスじゃない』)
これは「差別されているから笑われてるし、仲間外れだから許されてる」という見出しのついた節で述べられている一節なのですが、これは歴史学者の網野善彦が指摘しているように、「異類異形」といわれた覆面や蓑笠姿の中世の悪党や山伏などの無縁者、そして修験者の本質とぴったり重なっています。すなわち、彼らもまた差別されているがゆえに自由であり、異類異形鎌倉末・南北朝期の動乱における活動が根強く肯定されていったのです。
今週のおとめ座もまた、みずからの立ち位置を考えていく上でマツコ的な在り方を参考にしてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
役小角―マツコ・デラックスの系譜