おとめ座
いかんともしがたい本音
共犯関係を結ぶ
今週のおとめ座は、『働かぬ日は秋風の虜(とりこ)かな』(島谷征良)という句のごとし。あるいは、心の奥底にある実感にドライブがかかっていくような星回り。
現代では「働かぬ日」とは、待ちに待った週末やたまの休日だけといった意味あいだけでなく、ただ単に仕事がない日やどう過ごしたらいいのか分からない日、持て余した時間などを指すことの方が多いのではないでしょうか。
そんな日は、「いっそ何かに囚われてしまいたい」と思うもの。実際、酒であれ恋愛であれ占いであれ、意に反して囚われているのかと言えば、みずから望んでそうなっているという人も多いはず。
掲句でも、さながら「愛の虜」になったかのように、作者はすすんで秋風に囚われている。それは身に吹きつける涼風がよく染み入ってきたからこその実感なのだとは思いますが、そこには少なからず先のような本音が秘められている。その意味で、作者は秋風と一種の共犯関係にあり、そのこと自体をどこかで楽しんでいるのかも知れません。
同様に、10月3日におとめ座から数えて「密かな楽しみ」を意味する5番目のやぎ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからすすんで共犯関係に巻き込まれていく傾向が強まるでしょう。
吉野弘の『I was born』
吉野弘の『I was born』というよく知られた散文詩があります。「英語を習い始めて間もない頃の」の「少年」とその「父」との対話を軸にしたこの作品では、ある日の夕方、少年が父と一緒にどこかの寺の境内を歩いていると、むこうから妊婦がゆっくりと歩いてきます。少年は思わずその妊婦のお腹に視線をとめ、そこにうずくまっているだろう胎児のことを想像し、やがてその胎児が生まれ出てくる不思議さに打たれつつも、そこで生まれるということがまさしく「受け身」である理由をふと了解するのです。
―やっぱりI was bornなんだね―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―I was bornさ、受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
確かに自我とか理性といった次元ではなく、「生命」ないし「身体」的存在として自分自身を捉えるとき、そこにはいかんともしがたい受動性がつきまとうことに気が付きます。少年はこの気付きを自分の出生のきっかけとなった父と共有することで、やはり一種の共犯関係を結んだのです。
同様に、今週のおとめ座もまた、自分では制御できないような何かが、自身を圧迫するようにして充填されているという感覚に思い当っていくことになるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
やっぱりI was bornなんだね