おとめ座
至らなさを補い合う
脱・“山椒魚”
今週のおとめ座は、アンチ「はい論破」の試み。あるいは、いつも以上に哲学的対話に開かれていこうとするような星回り。
相手を言い負かす「論破」に爽快感を覚えたり、ひろゆき氏のようなある意味で議論をゲーム化して勝ちに徹している人物に憧れを抱く人が増えている一方で、相手の主張に例外を見出してそれをあげつらい、攻撃し続けるというディベートテクニックや、反論に反論を重ねるだけの論破の不毛さに辟易している人も少なくないはず。
そもそも本来なら対話に開かれているはずのコミュニケーションの場を「論破」という知的ゲームに持っていきたがる人というのは、要は人の上に立ちたいというマウント願望の強い人に過ぎないのであって、そうした自身の欲望に無自覚なままでいれば、やがて自分に都合のいい結論で無意識に周囲を塗り固め、中から出てこれなくなった“山椒魚”になり果ててしまうでしょう。
おそらく、そうした「論破」の対極にあるのが哲学的対話であり、それはまず、「より善く生きる」ためにわたしに必要なものは何かを問うことから始まります。ただ、そうした自問は多くの場合、慌ただしい日常のなかで中途半端なかたちで頓挫してしまう訳ですが、だからこそ、哲学的対話の場では、そんな自問自答の“至らなさ”を相互に補い合おうとする試みが求められるのです。
その意味で、6月7日夜に自分自身の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ここぞというタイミングでそうした試みに果敢にトライしてみるといいでしょう。
「分母」を考えてみる
いまの教育というのは、理系文系にしろ、大学の学部学科にしろ、あまりにも学ぶ内容が細分化され過ぎてしまっていて、中世から言われていたいわゆる「リベラル・アーツ・エデュケーション」ということが、ほとんど軽視された結果、自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことはあまり知らないという人たちが増えてしまいました。
そうすると、何か難しい状況に直面したときに「文殊の知恵」を出そうと「三人寄」っても、そこに共通言語を見出せないために想像以上に会話が噛み合わなかったり、集合知も生みだせない訳です。
これは例えば、「夕焼けはなぜ赤いんだろう?」という問いを投げかけられた状況を思い浮かべてみるといいかも知れません。大抵は、太陽と地球の角度と赤色光の散乱のしにくさといった科学的見地からしかなかなか答えが出てこない。
でもこれだけでは、地上の人間とさよならしなきゃいけないのが悲しくて、顔が真っ赤になるまで泣き腫らしているからといった子どもの思いつきや、『夕焼け小焼け』や『赤とんぼ』などの国民的童謡の歌詞に必ず夕焼けが歌われていて、それは浄土のイメージや「郷愁」などの感情と結びついているといった人文系の見地とは結びついていかないし、子どもも本当の意味では納得してくれないのです。
同様に、今週のおとめ座もまた自分の考えと相手の考えを“通分”し、齟齬を解消してくれるような、世界観や宇宙観を表現するための普遍的な言葉を見つけていきたいところです。
おとめ座の今週のキーワード
子どもはみんな哲学者