おとめ座
偶然に吹かれて
ささやかな後押しとしての春風
今週のおとめ座は、「日なたぼこのどこかをいつも風通る」(阪西敦子)という句のごとし。あるいは、静から動への動き出しのきっかけをつかんでいくような星回り。
「日なたぼこ」は俳句の世界では冬の季語だが、春の「日なたぼこ」も悪くない。冬はあたたかい日なたが恋しいので、日なたぼこそれ自体が自己目的化しやすいのに対し、春はもうすでにあたたかさが、色んなところに分散されて感じられるため、日なたぼこも「ついで」になりやすいのだ。
駅のベンチで電車を待つついでだったり、公園でお弁当を食べるついでだったり、植木の水やりやベランダを掃除するついでだったり。ふとした日常のすき間、それも生きるための動作と動作のあいだに日なたぼこがあって、それゆえにそこにはいつもさりげなく風が通ってゆく。
それは冬の冷たい隙間風ではなく、草花や芽を育み、鳥のさえずりを誘う、暖かく穏やかな春の風であり、停滞した人間を新たな活動に向かわせるささやかな後押しでもあるはず。
3月10日におとめ座から数えて「世の中との接点」を意味する10番目のふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そんな春風を感じていくことで、自身の内なる季節を冬から春へと本格的に始動させていきたいところです。
偶然を深めるという感覚
世には不幸な偶然も多々ありますが、幸いなる偶然も少なからずあるものです。例えば、『平家物語』には、平清盛が伊勢の海から熊野へ向かう舟中に鱸(すずき)が踊り入ったという記述があります。
この時、清盛はとっさに「昔、周の武王の船にこそ、白魚は踊入たりけるなれ。これ吉事なり」と言いました。鱸は成長するにつれ呼び名が変わる「出世魚」ですから、以後の出世を暗示する吉兆と受け取り、殷の紂王を討ちにいった武王の身に起きた偶然と自身のそれとを重ねてみせたのです。
同じような類似の偶然が2度繰り返されたという状況ですが、それは言い換えれば、過去の出来事が現在に再生し、現在の出来事が過去へと回帰するといったような、円環的構造を持つ中で、現在の偶然のいたずらが必然へと深まっていったということ。
それはあたかも渚に繰り返し打ち寄せる波のような仕方で、<今ここ>のもつ無限の深みに触れる瞬間であったはず。その意味で、今週のおとめ座もまた、毎年繰り返される春の訪れを、少しでも幸いなる必然へと深めていけるかということがテーマとなっていくのだと言えます。
おとめ座の今週のキーワード
だんだん円くなってゆく