おとめ座
交錯の場をつくる
生の比喩
今週のおとめ座は、「人が来て人が出てゆく霜の家」(今場忠夫)という句のごとし。あるいは、この上なく個人的なことと他者のそれとの出会いに直面していくような星回り。
入っても出ても、なんの変化もない一軒の家。そこにはまざまざと感じられる真冬の静けさが息づいている。しかし、これがもし「雪の家」で締めくくられていたら、どうだったろうか。人影はより一段と鮮明になったかもしれない。ただ鮮明にはなっても、「人が来て人が出てゆく」という森閑とした時間の経過の妙は生きなかったに違いない。
そして辺り一体の表面を霜で覆われた「霜の家」であればこそ、朝日を受けてキラキラと輝く光景を受け、確かな時間の経過とともに、ちょっとした人間の出入りなどでは決して侵されることのない自然の底深さのようなものが感じられてくるのではないか。
そう考えると、ここでいう「家」とは私たち一人ひとりに与えられた生の比喩とも言えるかもしれない。それは一回限りの短い一瞬の、この上なく個的な出来事であると同時に、悠久の歴史を重ねてきた普遍の法則のもとにある開かれた、自由な世界であり、その両者が神秘な出会いを遂げる場であると。
その意味で、25日におとめ座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目のさそり座で下弦の月を迎えて行く今週のあなたもまた、過去と現在、自分と他者の一瞬のこの奇妙な交錯の意味するところについて何らかの気付きがもたらされていくはず。
<私>の叫び
カリブ海諸国出身の詩人デレック・ウォルコットに「名前」という詩があります。そこでは、名もなき島の子として、海とともに始まり、海上を飛翔しつつ鋭く魚を捕らえる<私>がこの世界に生まれ出ようとしているまさにその瞬間が歌われています。
私という種族は海の始まりとともにはじまった
そこには名前もなく、地平線もなかった
ただ舌の裏側の小さな小石だけがあり
星に記された異なった位置だけがあった
(……)
岩影から海の鷲が叫ぶ
あのミサゴの叫びのようにして
私の種族は始まったのだ
あの恐ろしい母音とともに
あのI(わたし)という!
(『デレック・ウォルコット詩集』)
ここでは自分という存在がこの世に生じてから、これまでの軌跡がそのまま詩へと昇華されています。歌うこともまた、自己と他者との交錯であり、何よりそれは生き延びるための原動力なのです。今週のおとめ座はそんなことを頭の隅に置いて過ごしてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
家と歌