おとめ座
美は継がれゆく
こちらは5月24日週の占いです。5月31日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
ひとつの波としての私たち
今週のおとめ座は、「夏潮の今退(ひ)く平家亡ぶ時も」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、しみじみとおのれを過去との連続体の中に浸していこうとするような星回り。
昭和16年6月1日、旅の途中で門司に立ち寄った際に作られた句。そこで見かけた句碑に書かれた「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな」という室町時代の宗祇の句に触発されつつ、そこに土地への挨拶も込めて「平家亡ぶ時も」と詠んだのでしょう。
いま、自分の目の前で夏潮がひいてゆく。壇ノ浦で合戦で平家が亡ぶときもこうだったのでしょう。潮の満ち引きのイメージに平家の興亡の歴史を重ねると同時に、また自身の巻き込まれている対人関係もそこに託していたのかも知れません。
そう、現在を生きている私たちはただ一回限りの人生を自分だけの意思で、すなわち過去と切り離されて生きている訳ではなく、つねに過去とのつながりのなかで、死者たちとの共同体を生きており、知らず知らずのうちに彼らの意思をみずからのそれと混ぜ込みながらより強い意志や欲望を生成させているのではないでしょうか。
26日におとめ座から数えて「歴史と背景」を意味する4番目のいて座で皆既月食(満月)を迎えていく今週のあなたもまた、かつて滅びていった者たちの中にあるべき自分自身の姿を再発見していくべし。
奇跡ではなく美を求めること
どんな種だって進化の袋小路に入り込んでしまうことはあるものですが、今の日本社会のように、そこからさらに無自覚に自分で自分の首をしめていくような選択をしていこうとしている場合は、はっきりとそれは間違っているのだと言わねばなりません。
例えば生態学者のグレゴリー・ベイトソンは、そうして苦境に陥った際に一手で状況を打開していく「奇跡」を希求することは、それが救世主であれ、オリンピックであれ、「物質主義者の考える物質主義的脱出法に他ならない」のであり、そうした安易な誘惑にのること自体がそもそもの誤りなのだと述べています。
野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である―もちろん醜を含めた上での美だけれどね(『精神と自然』)
興味深いのは、ベイトソンがそんな美の実例として、ウミヘビや、サボテンや、ネコなどの生き物を取り上げてみせるところでしょう。ベートーヴェンの交響曲やフェルメールの絵画など、いかにもひとりの天才の手によって生み出された傑作ではなく、生々しくもごく自然に、なんということもなく生み出された(ように見える)ものこそ、人を救ってくれるのかも知れません。
今週のおとめ座もまた、これまで連綿と繰り返されてきた滅びの歴史のなかで、自分なりの美学や、その実例を見出してみるといいでしょう。
今週のキーワード
醜を含めた上での美