おとめ座
自然に信じられるもの
最もなまなましきもの
今週のおとめ座は、「夏星や草木に人の息かゝり」(飯島晴子)という句のごとし。あるいは、誰か何かの官能性に生かされていくような星回り。
どことなく芭蕉の「夏草や兵どもの夢の跡」を思い出させる一句です。
こちらはかつて奥州平泉で栄華を誇った藤原氏や義経への手向けとして詠まれた鎮魂歌で、人の栄華の儚さが主題でしたが、掲句はそれを意識しつつも、正反対の方向へと意識を向けているように思います。
つまり、生い茂った草木には生きた人間の吐いた息がかかっており、それは夢やまぼろしなどではなく、間違いなく今そこある生きた人間の営みに他ならないのだと。
その際、どこか清々しく、涼やかなイメージのある「夏星」という季語を配することで、かえって息が植物にかかるという掲句の情景には人間の身体の官能性が強調されており、現になまなましく実感されるものこそが真理であり啓示なのだという気付きにどこまでも貫かれています。
12日におとめ座から数えて「信じられるもの」を意味する9番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分にとって信じられるものとは何かということが、改めて突きつけられていくはずです。
ごく自然な帰結
現代の詩人・最果タヒはイラスト詩集『空が分裂する』のあとがきで、自身が詩を「なんとなく、書き続けてきた」経緯について、次のように振り返っています。
創作行為を「自己顕示欲の発露する先」だという人もいるけれど、そうした溢れ出すエネルギーを積極的にぶつける場所というよりは、風船みたいに膨らんだ「自我」に、小さな穴が偶然開いて、そこから自然と空気が漏れだすような、そんな消極的で、自然な、本能的な行為だったと思う。誰かに見られること、褒められること、けなされること、それらはまったく二の次で、ただ「作る」ということが、当たり前に発生していた。
思い返してみるに、人が何かに“導かれる”とか“生かされる”時というのも、案外こうした感覚に近いのではないでしょうか。
特に「自然と空気が漏れだすような」というところなどは、今週のおとめ座にとっても理想的な在り方と言えるかも知れません。
今週のキーワード
力の抜きどころとしての信仰