おとめ座
身もだえし、叫べよ人間
感性丸出し
今週のおとめ座は、「晴天の真昼にひとり出(いづ)る哉」(小林一茶)という句のごとし。あるいは、また一つ過去のしがらみをほどいていこうとするような星回り。
作者の父が死んだ2年後、41歳のときの作。この頃、下総や葛飾など俳句を教える得意先を歩きまわっていたらしく、どうもそのあたりの空が好きだったようです。
と同時に、そうして作者もどこかで40歳を過ぎてなお江戸で独身生活を送る自分の運命を見定めようとしていたのでしょう。
掲句は季語のない無季俳句ですが、それだけに余計に空の青さが身にしみていくように感じられます。もう若さと勢いが先行する歳ではなくなってきたことで、かえって感性が冴え、どこまでも澄んでいった。
日のひかりだけではむなしすぎ、空の色だけでは物足りない。その双方の溶けあった得も言えぬ光輝だけが、どこか懐かしさをもって彼を満足させたのかも知れません。
27日におとめ座から数えて「生まれ変わり」を意味する3番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句の作者のように、幼さもあり、その分だけ恐ろしさもあるような感性を丸出しにした境地へ歩を進めていくべし。
唸りやうねりとしての「浪曲」
『詩歌と芸能の身体感覚』という本の中で、芸能評論家の朝倉喬司は浪花節的なものの特徴について、次のように述べていました。
原型らしきものが出来たのが江戸の文化文政期と言ってもいいのでしょうが、社会的には最下層部分から立ち上がった。「非人」と言われた人たちとか、願人坊主とか、浮浪化した山伏というか、大道でいろいろな芸能要素がカクテルされて、そこでずっと芯に残ってきたものがあって、それが「唸り」ということだと思うんです。
つまり、社会の下層のいた庶民の生きるエネルギーが、闊達さを身上とした芸能を通して集団的・歴史的に凝集し、説法とも煽動ともつかない危険なリズムへと変換されたものこそ、浪曲という古典芸能の根底にあるリズムの芯であり、それは言わば身もだえするような人情のうねりなのでしょう。
そしてそうした「唸り」とも「うねり」とも表されるリズムこそ、小林一茶という俳人の特徴でもあったように思います。
今週のおとめ座もまた、これまで胸の奥に秘めてきた思いや情念の固まりが時を得てほとばしり、誰かどこかへ目がけて解き放たれていくことになっていくかも知れません。
今週のキーワード
根底にある悲しみの表白