おとめ座
響きと交わり
直接的な共鳴
今週のおとめ座は、日本語の<ア>の響きのごとし。あるいは、言葉や思考に頼らず、もっと全身を使ってエネルギーを発散させていこうとするような星回り。
ことばの発音ということで言えば、子音は気の集中であり、母音は発散であり、また子音は分節にかかわり、母音は連続性にかかわるのだそうです。そして、音楽的には子音はリズム(拍)にかかわり、母音はメロディーないし響きにかかわる。
森田澄夫の『言葉が声に及ぼす影響』によれば、日本語とイタリア語はともにア・イ・ウ・エ・オという五つの母音を使いますが、日本語の場合は“浅間山”や“荒川”など、<ア>の母音の占める割合がイタリア語に比べて格段に多くのが特徴で、「浅い言葉」と言えるのだそうです。
逆に言えば、イタリア語の方が、必然的にことばをより強く響かせて相手に伝えようとする積極的な意志が必要とされ、同じエネルギーを発散させるのでも、思いきり集中させておいて発散させるのだと。
つまり、同じ<ア>の発声をするのでも、イタリア語や中国や朝鮮語のそれに近い発音と比べても、日本語は気楽な感じで、それだけことば(音声表現)に頼っているというより、もっと身体の直接的な共鳴に頼っているのだいうこと。
20日におとめ座から数えて「目に見えない交わり」を意味する12番目のしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、明確な形を伴わない流動的な気体になったつもりでさまざまなに他者や世界と入り混じっていきたいところです。
尊厳の感覚とその受け皿
仏典によれば、かつてゴータマ・ブッダは母・摩耶の胎内から出て七歩歩き、蓮の花の中に立って、「天上天下唯我独尊」という第一声を放ったと言われています。
これは自分より優れたものなどないという思い上がりではなく、この世に個として存在する「我」より尊い存在はないという自らの尊厳への確信に貫かれた言葉。
そして、蓮の花とはそんな尊厳にみちたブッダを支える玉座、すなわち「背後から支える力」として彼の聖性と分かちがたく結びついており、聖地における磐座(神の宿る自然の依り代)に近い役割を担っていたのだとも言えます。
つまり、あなたが自分本来の尊厳を取り戻していくためには、まず自分にとっての「蓮の花」を見つけていかなくてはならないのです。
今週のおとめ座は、そんな普段あまり意識をそこに向けることのないような、秘やかなパートナーシップや結びつきに焦点があたっていくでしょう。
今週のキーワード
聖地の必要条件