おとめ座
通俗的“幸運”の相対化
偶然を深めるという感覚
今週のおとめ座は、『平家物語』の鱸(すずき)のエピソードのごとし。あるいは、“幸いなる偶然“に積極的に開かれていくような星回り。
世には不幸な偶然も多々ありますが、幸いなる偶然も少なからずあるもの。例えば、『平家物語』には、平清盛が伊勢の海から熊野へ向かう舟中に鱸(すずき)が踊り入ったという記述があります。
この時、清盛はとっさに「昔、周の武王の船にこそ、白魚は踊入たりけるなれ。これ吉事なり」と言いました。鱸は成長するにつれ呼び名が変わる「出世魚」ですから、以後の出世を暗示する吉兆と受け取り、殷の紂王を討ちにいった武王の身に起きた偶然と自身のそれとを重ねてみせたのです。
同じような類似の偶然が二度繰り返されたという状況ですが、それは言い換えれば、過去の出来事が現在に再生し、現在の出来事が過去へと回帰するといったような、円環的構造を持つ中で、現在の偶然のいたずらが必然へと深まっていったということ。
それはあたかも渚に繰り返し打ち寄せる波のような仕方で、<今ここ>のもつ無限の深みに触れる瞬間であったはず。
11月1日におとめ座から数えて「私の最大公約数」を意味する9番目のおうし座にある天王星の真向かいに太陽が巡り、否応なく意識がそこへ向けられていく今週のあなたもまた、自分という存在の輪郭が書き換わっていくいくような体験ができるかも知れません。
粘菌流「幸運の招き方」
「粘菌」とは進化の初期に現れた生物で、200万年前に出現したヒトからすれば生物の大先輩であり、何百倍もの長い年月をちゃんと生き抜いて今なお繁栄している不思議な存在なのですが、その最大の特徴が「自律分散型のシステム」。
これは人間が体全体の情報をいったん「脳」に集めて、そこから集中管理方式で判断を下していくことで効率を上げているのと対照的に、粘菌はいわば部分部分がそれぞれ勝手気ままに振る舞っているにも関わらず、突然起こった問題に対しても自在に適応でき、迷路を解いたり、複雑で発達した交通網を独自に構築できたりする由縁でもあります。
重要なポイントは、粘菌は考え過ぎたりせず、とりあえず動くことに徹していること。そもそも、「正しい答えを選ぼう」と強迫観念的に考えてしまうこと自体が脳の罠であり、そうして考えて手を出したりすると、余計な力が入ってしまって、それまでなんとなくうまくいってたことまで出来なくなってしまうということが人間には非常によくある訳で、これは特に完璧主義傾向の強いおとめ座の弱点とも通底しています。
今週は何か特定の正解を探すのはやめて、とりあえず適当に動き、なんとなく手を出して、後は「残るべくして、残るものが、残る」という粘菌のやり方に切り替えていきましょう。
今週のキーワード
清盛と紂王は時空において分散しているが同じ個体