おとめ座
役割をこなす勇気
顔の怪
今週のおとめ座の星回りは、リルケの顔の話のよう。あるいは、自分が出会う最も奇妙なもの、奇異なものに対処する勇気をふるっていくような星回り。
現代人は表情が貧しくなったという記述を読んだことがありますが、「顔」については昔から様々なことが言われてきました。その中でも、詩人のリルケが遺した唯一の長編小説で、パリで孤独な生活を送りながら街や人々、芸術、思い出などについて断片的な随想を書き連ねていく『マルテの手記』のはじめの部分には、実に恐ろしい記述が出てきます。
いわく、何億もの人間が生きているが、もっと多くの顔がある。それはみんな幾つもの顔を持っているためだ。もちろん、永いあいだ1つの顔を持ち続けている人もいるが、やがて使い古されていく。彼らだって余分な顔を本当は持っているはずだが、子供に与えていたり、道端で犬に持っていかれたりしているかも知れない。リルケは顔とはそういうものだと言い切るのです。
さらにリルケは次のように話を続けます。中には不気味なほど早く、顔をつけかえたり、外したりする人もいる。自分ではいつまでも顔のストックがあると思っているが、40歳になるかならぬかで最後の1つになってしまう人もいる。これは悲劇である。そういう人は、顔を大事にすることを知らなかったから、ボロボロになったのだ。と。
10日におとめ座から数えて「視野の広がりと洞察」を意味する11番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで見ないようにしていた真実の光景に改めて目を向け直していくことになっていくでしょう。
弔いと仮面
リルケがパリの街で思いついた先の話を理解する上で、仮面という訳語をあてる「masque」という語自体が、フランス語ではそもそも「悪霊」を表し、次いで「魔女」を意味する言葉だったということは、とても重要なことであるはずです。
つまり、「面」という言葉の成り立ちそのものが、どうも文化の負の側面を担うべく運命づけられているように見えるのです。おそらくそこには、カトリック神学的な人間の肉体への抑圧がベースにあり、ただでさえ肉体の仮象にすぎない「面」は二重にうさんくさく、否定されるべきものだったのでしょう。
でもだからこそ、そうしてある種の排除の原理のなかで切り捨てられてきた想いや情念を現世に再び浮かび上がらせ、きちんと弔いをしていくためにも、人はみな誰しもが面すなわち「顔」をつけて、その背後にある闇を切り出していかなければならないのではないでしょうか。
おとめ座にとって、今はそうした“役回り”のようなものを、やはり自身の運命として自覚していく時なのかも知れません。
今週のキーワード
うさんくさく否定されるべきものの成仏