おとめ座
何を諦めるべきか
予感と杞憂
今週のおとめ座は、「戦慄のかくも静けき若楓」(原民喜)という句のごとし。あるいは、ある種の予感に貫かれ、底まで引き込まれていくような星回り。
作者は広島で被爆した体験をベースにした小説『夏の花』などで知られる小説家・詩人ですが、掲句は原爆が投下される数日前に詠まれたもの。
「若楓(わかかえで)」は初夏の季語であり、楓の木は少年時代から作者の夢想の対象として親しまれてきたもので、既にそこに漂う嵐の前のような静けさから、暗い予感を受けとっていたのでしょう。
作者は俳号を「杞憂」といいましたが、義弟の評論家・佐々木基一によれば「原には危機に対する神経的なまでの予感があり、恐怖があった。そういう自分の性格をよく知って、自ら諧謔的に杞憂なる号をつけたのであろう」とのことでした。
予感や杞憂といえば、大抵は幻影として「気にし過ぎだよ」の一言で受け流れるものと相場は決まっていますが、作者の場合は、手で触れられるような夢のごとき、確かなリアリティーを持っていたのかも知れません。
6月28日に「展開力」の火星がおとめ座から数えて「自己の弱まり」を意味する8番目のおひつじ座へと移っていく今週のあなたもまた、考えうる最悪のシナリオや展開からいかに目をそらさずに直視できるかが鍵となってくるはず。
諦めと治癒
今はもう使われていない表現ですが『分裂病者と生きる』(1993年)という本があって、その中で編者のひとりである加藤清がまだ若い精神科医だった頃のエピソードとして次のような話が語られています。
いわく、壁面に頭を打ちつけて自傷行為をやめない患者を前にして、誰も何もなす術がなくなり、無力感にかられてみな呆然として立ち尽くしていたと。そのとき、加藤は突然、病室の隅にあったゴミ箱の中に入って土下座した。すると、それまで誰が何を言おうとしようと自傷行為をやめなかった患者が動きを止めて、加藤に注意を向けた。そして、その瞬間から治療行為が進み始めていったというのです。
加藤はなぜ、わざわざゴミ箱に入って土下座したのか。あえて言いきるならば、ここにはあらゆるレベルの治療や治癒という現象の秘密が現れているように思いますし、それは今のおとめ座にとっても重要な指針になってくるでしょう。
加藤のしたことは、患者や同僚に対するある種の「超越」行為と言えますが、同時にそこには「自分ではどうにもならない」「救えない」といった患者の苦悩に対する諦めの深さと祈りの切実さがあるという点で、権力構造を伴なう操作や圧倒、マウンティングなどとは決定的に異なっているのです。
今週のおとめ座もまた、自分を取り巻く現実全体をぼんやりと見つめつつ、そうした<諦め>ということに心を留めていくといいかも知れません。
今週のキーワード
諦めはある地点までいくと祈りへと変ずる