おとめ座
精神の純潔ということ
無言の主張
今週のおとめ座は、「夏みかん酸つぱしいまさら純潔など」(鈴木しづ子)という句のごとし。あるいは、自分なりの生き方を追求していかんとするような星回り。
作者は戦後の混乱期に彗星のように現れ、「娼婦俳人」などと揶揄されながらも一瞬のうちに人々を惹きつけては、また彗星のように消えていった人。
もともと製図の専門知識を生かした仕事をしていた彼女でしたが、婚約者の戦死、母の死、さらに別の男性との結婚、妊娠、堕胎、離婚を経て、米軍基地でダンサーとして働くようになり、そこで出会った米軍兵と暮らし始めた翌年に掲句は詠まれました。
どこか自分のこれまでの人生を半ば投げやりかつ自虐的に回想している姿が浮かぶ句ではありますが、「純潔など」という表現は、誰に何を言われようともこれが自分の生き方なのだ、という力強い主張が無言のうちに込められているように感じられます。
世間から「堕ちた女」というイメージを強く重ねられていたからこそ、「純潔」という言葉にこだわっていたのかも知れません。つまり、純潔というのは肉体より、むしろ精神のそれの方が大切なのだ、と。
その意味で、5月30日に“自分自身”のサインであるおとめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、根本のところで受け身の姿勢から能動的な働きかけへといかに転じることができるかを問われていくでしょう。
「みずから」と「おのずから」
自分なりの生き方の追求、などということは、それが背伸びしたものでなく、ごく「自然体」でなければ意味はありませんが、この「自」という言葉には次の二つの意味が含まれています。
①みずから:自発的に、自分の意志で
②おのずから:自然発生的に、ひとりでに
これは、端的に①自発性と②内発性と言い換えてもいいかも知れません。自発性というのは、結局、「そうすることでメリット(報酬)があるから」行われる際の原動力となっているもので、内発性は、そういう損得勘定のレベルでの自分の為というところを越えて、内側からつぎつぎと湧いて出て来るもののことです。
ただし、ここで言いたいのは内発的がよいことで、自発的であるのが悪いということではなくて。つねに両者が綱引きしあいながら、みずからとおのずからの「あわい」のところでこそ、生命力はのびのびとしていくということ。
掲句の作者もまた、次第に「みずから」から「おのずから」へと比重を移していった結果、「堕落」だ「娼婦」だと囃し立てられてしまった訳ですが、これは時代も大きかったように思います。改めて、今週はどうか自然体を大切に。
今週のキーワード
生き様が内発的であること