おとめ座
既存の形を崩す
南方マンダラ
今週のおとめ座は、南方熊楠の説いた「大日如来の大不思議」のごとし。あるいは、たやすく制御できない‟力”に圧倒されていくような星回り。
熊楠は粘菌の研究で知られた自然科学の研究者であり、近年はエコロジー活動の先駆者としても知られていますが、その自然観は一筋縄ではありません。
例えば、1903年に真言宗僧侶であった土宜法龍(どぎほうりゅう)に宛てた書簡の中で、「科学というも、実は予をもって知れば、真言の僅少の一分に過ぎず」と書いた上で、後に「南方マンダラ」と呼ばれる、事象の世界の複雑な相互関係について図示しています。
そこでは物と心との関連とがごちゃごちゃに込み入った線やその結びつきで描かれ、線が交わる結節点を解きほぐしていくことが「人智」なのだと述べられています。
ところが、そうしたかたまりの一番上に一本の線がひかれており、それは他の線と交わることがなく、他から解明できないものとして描かれている。これこそ、人智の及ばない「大日如来の大不思議」であり、それが万物を基礎づけ、それらが生じるおおもとになっている訳です。
根底の大日如来から生まれた世界には、自然や人間だけでなく地獄や妖怪など不可視のものたちも含まれ、それらが複雑に入り混じって曖昧で猥雑で流動的な様相を呈している。
23日にかに座から数えて「ご神託を受けとる場所」を意味する9番目のおうし座で、新月を迎えていく今週のあなたもまた、いたずらに金や力で押さえつけようとするのではなく、ある種の自然やその根底にあるものへの畏れを取り戻していくことがテーマとなっていきそうです。
ひとでなしになる
人型をなくし、まともな人間でなくなっていくことで、かえって人は自らを正しくエネルギーの場として思い出していく自由が与えられていきます。例えば、お母さんの中から産まれてくる胎児が大きな「螺旋」を描いて、ずばーんと生まれてくる時というのも、人はエネルギーそのものであり、まさに「大日如来の大不思議」のままに存在することができていました。しかし、いつからか人は純粋な意味でエネルギーの場であることをやめ、その流れをゆがめてしまうのです。
そういう意味では、かつてT・H・ロレンスが「文明とは何か。それは発明品などよりも、感性の生活のうちに、明瞭な姿をあらわす」と言ったのは、文明に対する痛烈な皮肉だったのだと言わざるを得ないでしょう。
そして、熊楠という人はその意味で「感性の生活」をまっとうした人であり、滅多に拝むことのできないような「ひとでなし」だったのだと思います。
今週のおとめ座も、いい意味で「ひとでなし」に近づいていくことで、水面上の日の光のきらめきのような、自然な明るさを受けとっていくことができるはず。その瞬間をどうか見逃さないでください。
今週のキーワード
タロットの「タワー(塔)」