おとめ座
星に願いを
紺と赤
今週のおとめ座の星回りは、「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」(山口誓子)という句のごとし。あるいは、自分が誰で、何ができ、何を成し遂げようとしているのか、ということについて、ひとつ思い定めていくこと。
曼珠沙華は天界に咲く赤い花を表す梵語で、彼岸花のこと。作者の『自選自解句集』によれば、「つきぬけて天上の紺」は、くっつけて読む。つきぬけるような晴天と、昔から言うでしょう。
それを私は「つきぬけて天上の紺」といったのだ」とありますから、ここでは「天」と「地」の縦軸をおいた上で、「天上の紺」と「地上の赤」という色彩の対比を強調しているのでしょう。
紺は、わずかに紫がかっている暗い青を指しますが、洋の東西を問わず古代から青は日常と異なった別世界の色とされる傾向があり、死体を連想させることから禁忌とされる色でもありました。
一方の赤は、太古より血や火の色として、生命を高揚させる根源的な力を象徴し、死者を葬る際や祭祀の場において、魔除けの意味でも用いられてきました。
この句が、ちょうど作者が療養生活を送って鬱々としていた1941年頃の作であることを知ると、そこに自然へのひれ伏すような感動とともに切実な思いを託していただろうことが伺われます。
中秋の名月を過ぎ、22日(日)の下弦の月へ向けて、いよいよおとめ座の季節も終盤に差し掛かっていく今週は、自分に残された命を何に使っていくべきかということについて、改めて思いを新たにしていくタイミングとなっていくでしょう。
金子みすゞにおける「私」の置き方
彼岸花のほかにも、天蓋花や死人花(しびとばな)、捨子花(すてごばな)、幽霊花などじつに様々な呼称がありますが。ここで思い出されてくるのが、金子みすゞの『私と小鳥と鈴と』という詩のこと。
「私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。」
最後の一文はよく知られたフレーズですが、その一行前には「鈴と、小鳥と、それから私」と書かれています。
留意しておかなければならないのは、詩のタイトルや、冒頭の書き出しでは一番最初に持ってきていた「私」が、最後の一文の直前のフレーズでは、「鈴と、小鳥と、それから私」と最後に持ってこられているという点。
私たちもまた、「何のために」ということを考える際には、かく願えるようにありたいものです。
今週のキーワード
星に願いをかけるとき、君が誰かは関係ない。君が心から願えばきっとそれは叶うだろう。