おとめ座
かたまり→ほとばしり
「まことの花」を咲かせるために
今週のおとめ座は、「花言葉かがやくばかり種を蒔く」(藺草慶子)という句のごとし。あるいは、苦労して耕してきた土中から華やかな叙情を汲み出していくような星回り。
掲句の季語は「花種蒔く」。種をまきつつ、それらが順調に育って花が開く姿を想像しているのだろうか。あるいは、その花言葉にまで作者が目配せしているようにも思われる。
花言葉の中には、ネモフィラの「あなたを許す」やスイートピーの「優しい思い出」、ピンクのカーネーションの「あなたを決して忘れない」のように、年若い頃には経験したことのない感情や関係、また歳をとって初めて分かってくるようなものも多く、作者はそうしたところまで意識して「かがやくばかり」と表現しているのではないか。
例えば、能の秘義について世阿弥が遺した『風姿花伝』においても、生命力の自然な発現に基づく若さの魅力や勢いにのった芸のことを「時分の花」と表現する一方で、年齢をこえて生きる芸やさまざまな経験を経ることで成熟した魅力を「まことの花」と呼ぶ。
6日(水)から7日(木)にかけて、おとめ座の真反対のうお座で強烈な新月が形成されていく今週は、花が開くことと自分の未来をかけた上で、過去としての大地から一体どんな花言葉が開きゆくのかということを思い描くようにして、手を動かしていきたいところ。
歩けば後からついてくる
若者がデモへ行くのはなぜだろう?
おそらくかつての左翼のような、資本家と労働者、持てる者と持たざる者の立場の転倒を本気で計画して参加している人はほとんどいないか、いてもごくごく一部で、ただ何かを叫んで練り歩くのでなければ、生きづらくて生きづらくて、居ても立っても居られないからなんじゃないでしょうか。
歩くこと、声を出すこと。とてもシンプルなことだけど、そうしていると時折ふと見えないはずのものが見えてきたりする。境を越えて、何かが先に見えてくるんです。
「とうとうたらり、たらりら」。
これは能の『翁』で大夫が最初に謡う最初のセリフで、特に意味はないただの音であり、だからこそ神おろしの呪言となるものです。
感情や実感はいつも後から追いついてくる。それらが堪えきれなくなって溢れ出てくる瞬間を捉えるために、若者は歩き、声を出すのかもしれません。
今週はこれまでに自分に強いてきた無理や頭脳偏重、それらでいつしか硬くなってしまっていた心や身体のどこかを開いていくような、そんなタイミングとなっていくでしょう。
今週のキーワード
花言葉と呪言