おとめ座
軽みのレッスン
発句即辞世の句
今週のおとめ座は、人生で最初の「辞世の句」を作っていくような星回り。あるいは、死について語ることで、“生”を新鮮な言葉で語り直していくこと。
「辞世の句」というと、戦中の軍人や戦国時代などに戦っていた武将などを思い浮かべるかもしれませんが、例えば俳諧の芸術的完成者である松尾芭蕉は
「昨日の発句(俳句)は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、わが生涯いひすてし句は一句として辞世ならざるはなし(自分がこれまで詠んだ句はすべて辞世の句である)」
と述べていました。
つまり、「辞世の句」といっても、未練を残して死ぬ間際という特殊な状況に限って作られるものでもないし、また人生で一回限りのものでもないのだということです。
例えば、朝起きぬけに窓から外の光景を眺めて、なんとなく作った句を、みずからの「辞世の句」と呼んでも一向に差し支えないのかもしれない。というより、それが是なのだとしたら、どんな心境の変化が起きてくるだろうか。
おそらく、「辞世の句」は決して自分の人生の要約などではないのだ、ということに気が付いてくるでしょう。
頭でいろいろ考えたって五七五にはまとまらない。発句というのは、そのときどきに、その場で感動したこと、ふと心が感じたことを、即座に一句に形象化していくしかないのです。
過去も未来も持ち出すまでもなく、ただその時の心の動きを感じていくことが、そのまま「辞世の句」であり、そこではまさに生が死と引き換えに生じていく。
今週はひとつそんなつもりで、自分なりの「辞世の句」をつくってみてはいかがでしょうか。
天に笑ってもらうには
読む人や聴く人が感心したり心が奪われるのは、詠い手が歌へそっくり自分自身をあずけてしまっているからで、逆に、自分をひきたたせるために歌を利用しようとしていれば、途端にシラけてしまうでしょう。
ちっぽけな自分や、つまらない自分、がんじがらめの自我を飾りたてたり、隠したりせず、そっと差し出した時に生まれてくる「軽み」にこそ、「辞世の句」の秘訣があるのかもしれません。
個性的でなくたって、鋭さがなくたって、平凡だっていいじゃないですか。今週は、人に笑われることを怖れず、何よりも天に笑ってもらえるよう、心がけてみましょう。
今週のキーワード
生と死の交換を促す