おとめ座
日常と創作を接続する
エリック・ホッファーにつづけ
今週のおとめ座は、沖仲士の哲学者エリック・ホッファーのごとし。あるいは、まだ誰にも踏まれていない幾千の小道の存在を確かめるかのように、日常のかぞえ唄を歌っていくような星回り。
エリック・ホッファーという人は7歳で母が死に、18歳で父が死んで天涯孤独となってから、各地で職を転々とし、39歳で沖仲士(おきなかし)つまり船から陸への荷揚げや荷下ろしに従事する労働者として落ち着く傍ら論文の執筆をはじめたことから、後に「沖仲士の哲学者」と呼ばれ、名声を博していった立志伝中の人物です。
彼は後年
「本を書く人間が清掃人や本を印刷し製本する人よりもはるかに優れていると感じる必要がなくなる時、アメリカは知的かつ創造的で、余暇に重点をおいた社会に変容しうるでしょう」(インタビュー「学校としての社会に向けて」、1974)
と述べていますが、これは現代の日本社会においても同じことが言えるかもしれません。
私たちは生きている。そして働いている。
しかし一方で、自分自身の置かれた状況を嘆き、暇があれば愚痴を言い、社会や上司や他人のせいにして、悪者探しと不幸自慢で一生を終えようとしているように見えますが、そんなことにはもうコリゴリだというのが今のおとめ座の人たちの内心なのではないでしょうか。
ホッファーがかつてそうであったように、例え日々の労働をやめるだけの余裕がないのだとしても、今ここから自生的に立ち上がり、自分なりの知見を深め、知的かつ創造的に文化を創造していくことだってできるはずです。
読み、書き、調べ、考え、まとめ、発表する。そうしたプロセスは、歩き、しゃがみ、持ち上げ、踏ん張り、こらえ、洗い、たたむといった日常の一連の動作と本来シームレスにつながっている。
今週はそんなつもりで、自分の日常の先にある可能性について思索してみるといいでしょう。
リズムと文体
文豪ディケンズは、日々の日課として、また創作のヒントを得るため、あてどない散歩にいそしんだと言われています。
散歩やぶらつきというと、意味のある持続の破綻をもたらす行為や、仕事の生産性に直接関係しない無意味な時間と思われるかもしれませんが、手も足も自由な暇な時間や、意識の空白というのは、日常から一歩離れて生の全体を見渡すためには欠かせない必要条件でしょう。
例えば、俳句の5・7・5のリズムは、古代の舞踏のリズムや海洋民がオールを漕いでいたときのリズムにその起源があるとも言われていますが、いずれにせよ座ったままの状況からはリズムは生まれてこないのです。
ただじっとしていると、どうしても言葉が煮詰まってきて、スムーズに流れなくなる。
その意味で、今週は歩くリズムや、踊るリズム、オールのリズムなど、自分に合ったリズムを身体に刻んでいくことで、自分なりの文体を改めて整えていくといいでしょう。
今週のキーワード
文体練習のための場としての日常