おとめ座
服を選ぶかのように
生き方の問題と職業選択
今週のおとめ座は、「可能性こそが唯一の救い」というキルケゴールの言葉のごとし。あるいは、職業選択から生き方の問題を引き離していくような星回り。
実存哲学の祖・キルケゴールは、自己の不安を、罪を、死をどこまでも直視し続けた人でした。
彼にとって信仰とは「苦と歓喜」「罪と救い」「私と神」といった対立項の緊張関係をどこまでも抱え続けることにあり、神と私とはどこまでも断絶していて、神と関われば関わるほど、私のニセモノがあらわになり続けた。そんな実存を彼は生きたのです。
ふつう人はこうした断絶の継続に「絶望」を見てしまう訳ですが、そうした怠慢さえ彼は許しませんでした。絶望とは精神という鳥の緩慢な窒息死であり、それは生き方という空気が劣化するために起こる事態であると気付くこと。
それこそが23日にかに座で満月が起こる今週の、おとめ座(が強い)人たちのテーマなのだと言えます。
そして1つ具体的に言うならば、それは生き方の問題の核心は職業という制度やその選択の問題ではない、ということを強調しておきたいのです。
「私はどんな仕事をして生きてゆけばよいのか」「今の仕事を続けていってよいのか」といった悩みは、職業選択が生き方の問題と不可分であるとの思い込みによって生じている部分もあるかと思います。
芭蕉や西行の生きた職業選択などほぼ不可能だったにも生き方の悩みは尽きなかったように、職業選択と生き方の問題の関わりはあくまで間接的であり、また偶然的なものでしかないのだということを、今週はよくよく胸に刻んでおくといいでしょう。
どうせ選ぶなら確信犯的に
人にはそれぞれ、自分に見合った“勝負服”というものがあるものです。つまり晴れの舞台に出ていく時や、これぞと見込んだ相手と確かな関係を結ぼうという日に着こむ、<わたし>の社会的輪郭のこと。
学歴、職業、年代、ライフスタイルなど、「わたしとは誰か?」という問いと戯れるためのさまざまな“~らしさ”を演出する記号操作は、まず何よりも服選びから始まりますが、今週はある意味で、いまのあなたらしい勝負服を選び直していく時なのだとも言えるでしょう。
性別なんて関係なく、周囲や世の中に着させられている人と、服を着ることそのものを楽しんでいる人というのはやはり違いが出るもの。というより、着させられている人の服というのはそもそも“勝負服”とは言えません。そもそも勝負なんてしてないですから。
“勝負服”を楽しんでいる人というのは、「服なんて、たかがゲームじゃないの」と言わんばかりの余裕が感じられますし、虚構を虚構として利用しつつも「裸の<わたし>を見つけてみてよ」という確かなメッセージを発するようになるのだと感じます。
おそらく人と人というのは、本当はそうしたメッセージに引き寄せられて初めて、関係を深めることができるのではないでしょうか。
そういう意味では、職業であれ生き方であれ、纏うイメージにどこまで確信犯的になれるかというのが大切なことなのかもしれません。
今週のキーワード
熟慮することと求愛すること