おとめ座
反未来主義に反するために
自由の最低限
今週のおとめ座の星回りは、怠け者が手にする自由のごとし。すなわち、はじめに誰にも文句を言わせない、自分だけの時間と空間を確保していくような星回り。
はじめに言っておくと、別荘を買おうとか、長めのバケーションを取ろうとか、そんな大層な「消費」をここで提案をしようとしている訳ではありません。
ただ、いて座で新月を迎える今週は、おとめ座の人たちにとって、日々安心して暮らしていくのにどれだけの電力や水や食料や娯楽や温もりが必要で、逆に自分に必要ではないものは何なのかということ(=ライフスタイル)を、客観的に見直す契機を持っていくことがテーマとなっていくのではないかという現状認識がまずあって。
それから必要最低限これだけあれば、とか、これをする時間が確保されていれば、自分は生きていけるんだという暮らしのベーシックを決めていこうということです。
それは、自分が一番自由でいられる状態というのを最初に何かしら決めておいて、そこから不自由にならない程度にいろいろなものを足していきましょうという話。
これは、誰かと繋がったり、一緒に暮らしたりしていく中で見失うことなく確保しておきたい自由の最小公倍数みたいなものを求めていこうということでもあります。
「あ、そうだったのか」
「ぼくたちはすこしも自分のもとにはいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へと押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る」(モンテーニュ『エセー』)
モンテーニュが指摘するこうした傾向は現代においてより強まっていますが、ここには奇妙な逆説があるように思います。
つまり、未来時のある到達点にいたりたいなら、本来は大地を一歩一歩踏みしめていかなければいけないのに、私たちは道を歩まず、道を知らず、いきなり目的地へたどり着くことを期待している。
それは来たるべき未来どころか、むしろ反未来主義と言えます。
間近にありすぎるもの(「今ここ」)は、かえって朦朧としてリアリティーを感じないものですが、しかし着実に来たるべき未来(目的地)へ至る道はそこにしかありません。
その意味で、「ゆっくり行く者が、遠くへ行く」というイタリアのことわざは、今週のおとめ座にとってよき指針となるはず。
今週のキーワード
今ここ=自由の最小公倍数を求めていく