おとめ座
誤認と錯覚をただす
エイヤッ
今週のおとめ座は、「むきだしの命はねたり青がえる」(小沢昭一)という句のごとし。あるいは、自分をあえて追い込むことで、想定外な文脈をみずから克服していくような星回り。
常識的な想定は、備える必要のある可能性まで排除し、時に人の判断を誤らせる最大の原因となりえます。
例えば歴史的な敗戦劇というのは、そのほとんどが自らが圧倒的優位に立っているものと確信している側の‟予想だにしない”敗北によって築き上げられてきました。
つまり、身を滅ぼすような油断を常識によって作り出した方が負けることによって、歴史は紡がれ続けてきたのです。
これをひとりの人生に置き換えてみましょう。
もしあなたが誰かを心の中で見くびっており、そのことを隠す気さえもなくなってきているようなら、あなたは常識に足元をすくわれて、想定外の敗北や挫折を味わう手前まで来ているものと考えた方がいい。
ただ、自分の優位である証拠をひとつひとつ潰していくという作業は、メイクや服をひとつひとつ剥いで落としていくくらい勇気のいる作業であり、自分がどれほどの潜在的なリスクを作り出していたかなんて、掲句の「青がえる」くらいむき出しになってみなければ、分からず終いでしょう。
逆に言えば、無意識的に抱えてしまっている自己の優位性を一枚脱ぎ捨てるだけでも、世界はまるで違ったように見えてくるものだということを、今週はよくよく自分に言い聞かせてみてください。
ありのままな見方
いくら華麗に自分を着飾ったとしても、それが本来そうであるように存在していなければ、言葉の本来の意味で美しいと決して言えません。
この点について、陶器鑑賞家にして装幀家、そして美の追求者であった青山二郎は、著書の中で以下のように述べています。
「物の「在り方」は美の鑑賞なぞといううっとりした眼に、最初の印象を許すものではありません。一眼見て惚れたといいますが、文字通りそれは好き好きというもので、それとこれとは別の問題であります。好き好きという話になると、これはこれで大分面倒な趣味の事になりますが、併しもしもこの好き好きというものが、物の「在り方」と端的に一致する様になれば、先ず骨董屋より玄人といえましょう。」(『眼の筍生活』)
「引き算の美学」とでも言えましょうか。対象が自分であれ他者であれ、今週はそういう物の見方を大事にされるといいでしょう。
今週のキーワード
まず自分の眼から糺す