おとめ座
着実な歩みを重ねていく
だんだん自分に近づいていく
今週のおとめ座は、怖いような緑の沼の向こう岸まで到達せんと、抜き手をきって泳ぎ出していくような星回り。あるいは、準備に準備を重ねていくことで、以前の自分ならばとても無理だと感じていた難題にチャレンジしていくこと。
金づちにとって、足のつかないような深さの水中に取り残されることほど恐ろしいことはありませんが、それでもどうしたって泳がざるを得ない時というのがやってくるのが人生というものではないか。
不意にそうした予感に憑りつかれてしまった人にとって大事なことは、‟もしも”の事態に備えて「自分本来の力を取り戻していく」ということ。
沼の向こう岸とこちら岸との間には、水に足さえつけないうちは想像だにしなかった世界が広がっている。これは逆に言えば、そのはざまにあるものに慣れ親しんでいくことさえできれば、以前はあれだけ遠くに思えていた距離も、着実に縮めていくことができるということでもある。
水の層のあつぼったさ、からだにかかる抵抗、息継ぎをする際に水が口や鼻に入ってくる息苦しさ、途中から急にのしかかってくる足や手のだるさ、本来自分がいるべき場所ではない場所にいるのではないかという得体の知れない不安と恐怖……。
そうして、わが身に降りかかるであろう困難を1つ1つシュミレートしていくことで、才能や能力が花開いていく感覚をまざまざと実感していくべし。
反未来主義に反する
「ぼくたちはすこしも自分のもとにはいないで、つねに自分の向こう側に存在する。不安や欲望や希望がぼくたちを未来の方へと押しやり、ぼくたちから、現に(今この瞬間に)存在していることについての感覚や考慮を奪い去る」(モンテーニュ『エセー』)
モンテーニュが指摘するこうした傾向は、現代においてより強まっていますが、ここには奇妙な逆説があるように思います。
つまり、未来時のある到達点にいたりたいなら、本来足もとの大地を一歩一歩踏みしめていかなければそれはありえないのに、私たちは道を歩まず、どこでもドアでいきなり目的地へたどり着くことを期待してしまう。
それは来たるべき未来どころか、むしろ反未来主義と言えます。
間近にありすぎるもの(「今ここ」)は、かえって朦朧としてリアリティーを感じないものですが、しかし着実に来たるべき未来(目的地)へ至る道はそこにしかありません。
その意味で、「ゆっくり行く者が、遠くへ行く」というイタリアのことわざは、今週のおとめ座にとってよき指針となるはずです。
今週のキーワード
‟もしも”の時ほど本来の自分が出る